薪水給与令
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薪水給与令(しんすいきゅうよれい)とは、江戸時代後期に江戸幕府が発令した法令である。文化の薪水給与令、天保の薪水給与令の2種類が存在する。外国船薪水給与令、異国船薪水給与令とも言われる。
概要[編集]
18世紀末から、既に日本近海に外国船が出没して鎖国体制に動揺を与えつつあった。多くの外国船は日本に来航して、通商を求めるケースが見られた。
しかし、鎖国体制の堅持を図りたい幕府はできるだけ穏便に処置したい思惑から、文化3年(1806年)に薪水給与令を発令した(文化の薪水給与令)。これは「通商は拒否するが、漂流船には薪水、食糧を与えて帰らせるように」というものであった。
ところが、文化5年(1808年)8月にフェートン号事件が、さらにその後も外国船の上陸が各地で相次いで死者が出る騒ぎまで発生したことから、幕府は対応を硬化させ、文政8年(1825年)に異国船打払令を発令した。
しかし、天保8年(1837年)のモリソン号事件による対応への批判の高まり、そしてアヘン戦争における清の大敗から、この打払令の継続が外国に対して開戦の大義名分を与えているに等しいと見て、当時の老中・水野忠邦は天保の改革の一環として天保13年(1842年)7月、打払令を廃止して以前通り、漂流船に限定して薪水給与を認める柔軟路線に改めた(天保の薪水給与令)。