蒋幹
ナビゲーションに移動
検索に移動
蒋 幹(しょう かん、生没年不詳)は、中国の後漢末期の政治家。曹操の家臣。字は子翼(しよく)[1]。
生涯[編集]
揚州九江郡の出身[1]。堂々とした風格と優れた弁舌で知られ[2]、孫権配下の周瑜と同郷であり、曹操の命令で周瑜を帰順させるための使者として江東に赴いたが、周瑜は陣営を一通り案内した上で孫権への忠義を誓ったため、蒋幹は何も言わず[2]説得をあきらめて帰還し、曹操にこの事を報告した[1]。
『三国志演義』では史実どおり周瑜説得の使者として赴くが、周瑜の策略で曹操水軍の中核を成していた蔡瑁と張允が蒋幹が掴まされた偽書により処刑されてしまう。そして再び周瑜の説得に赴いた際には龐統を曹操の下に連れ帰って連環の計に騙されてしまい、赤壁の戦いの敗北の主因を作るという損な役回りを演じさせられている。