董 璜(とう こう、? - 192年)は、中国の後漢末期の武将[1]。父は董擢。叔父は董卓・董旻。
董卓の兄の子、つまり甥である[1]。190年に董卓の計らいで侍中・中軍校尉に任命されて軍の統率を任された[1]。董卓の孫娘である董白が領地を与えられた際、董璜がその印綬を渡す使者となっている[1]。192年に董卓が呂布らによって暗殺されると、その一党である皇甫嵩に攻められて一族と共に郿城にて殺害された[1]。
『三国志演義』でも史実同様に殺されて晒し首となっている。