董 旻(とう びん、? - 192年)は、中国の後漢末期の武将。字は叔穎(しゅくえい)[1]。父は董君雅。兄は董擢・董卓。
『後漢書』によると董旻は何進に仕えていて、189年に何進が宦官に暗殺された際、呉匡と協力して何進の弟の何苗を殺害した。その後、兄の董卓が権力を掌握すると左将軍に任命される[1]。192年に董卓が呂布・王允らによって殺害されると、その一党である皇甫嵩に攻められて一族と共に郿城にて殺害された[1]。
『三国志演義』にも登場するが何苗殺害は描かれず、兄の威光で左将軍となる。最後は史実どおりに殺されて晒し首にされた。