菱池
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菱池(ひしいけ)は、現在の愛知県岡崎市と額田郡幸田町にまたがっていた池。1883年(明治16年)に干拓されて消滅した。
地理[編集]
近世の三河国においては、碧海郡の油ヶ淵よりも大きな池であり、面積は約63町歩(約63ヘクタール)であった。菱池の場所を現在の地図でおおざっぱに表すと、JR東海道新幹線、JR東海道本線、愛知県道78号安城幸田線、愛知県道43号岡崎碧南線に囲まれた範囲であり、柳川と広田川の合流点付近が中心点であった。菱池の北には額田郡福岡村(現岡崎市)や額田郡占部村(現岡崎市)、南西には額田郡松坂村(現幸田町)、東には額田郡相見村(現幸田町)や額田郡坂崎村(現幸田町)があった。菱池からは広田川が流出し、西尾の東側で矢作川(現在の矢作川本流ではなく矢作古川)に注いでいた。
歴史[編集]
1880年(明治13年)から1883年(明治16年)には、初代神野金之助が菱池の干拓事業を行い、東西5.4キロメートル・南北1.8キロメートル、面積は約50ヘクタールの菱池新田となった。現在の幸田町には大字菱池が存在する。2008年の平成20年8月末豪雨では広田川が決壊し、かつて菱池があった部分の大半が冠水した。
史跡[編集]
- 菱池神社 - 幸田町大字菱池字菱池。相見川と広田川の合流点のすぐ南側。
- 菱池干拓記念碑 - 菱池神社に隣接。
参考文献[編集]
- 姿を消した菱池 東海農政局
- 液状化対策の地盤補強工法6 KANO空感設計
- 中根洋治・奥田昌男・可児幸彦・早川清・松井保「旧河道と災害に関する事例的研究」土木学会論文集、67巻2号、pp.182-194、2011年