船上山行宮跡

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船上山行宮跡(せんじょうさんあんぐうあと)とは、鳥取県東伯郡琴浦町に存在する史跡である。

概要[編集]

元弘2年/正慶元年(1332年)、元弘の乱によって鎌倉幕府得宗北条高時後醍醐天皇隠岐国流罪とした。しかし、復権を図る天皇は、元弘3年/正慶2年(1333年)2月に隠岐を脱出して伯耆国船上山の山頂にある寺院を仮の行宮と定めた。そして、これを助けたのが伯耆の豪族・名和長年であった。

天皇の脱出を知った隠岐の判官佐々木清高並びに佐々木清秋らの佐々木氏一族は直ちに伯耆国に入って天皇を攻撃した(船上山の戦い)。しかし、名和軍の激しい抵抗にあって清高の2000は東坂で、清秋の1000は西坂で大いに敗れ、この結果、全国各地で鎌倉幕府に対する討幕運動が拡大し、幕府は数ヵ月後に滅亡を迎えることになった。

現在、行宮跡を含む山頂一帯には、後醍醐天皇が京都還御するまでの80日余り行在した場所として、また船上山の戦いの古戦場として国の史跡に指定されている。

アクセス[編集]