臧洪
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臧 洪(ぞう こう、? - 196年)は、中国の後漢末期の武将・政治家。字は子源(しげん)[1]。父は臧旻。
生涯[編集]
徐州広陵郡射陽県(現在の江蘇省宝応県)の出身[1]。最初は即丘県長を務めたが辞職して帰郷する[1]。後に広陵郡太守の張超に招かれて郡の功曹となった[1]。董卓の暴政が始まると張超に対して決起を促し、5人の諸侯の間で誓約の儀式を取り仕切る[1]。その際に袁紹とも面会したが彼に気に入られて青州刺史・東郡太守となった[1]。しかし195年、張超が曹操に対して反乱を起こした際に袁紹が救援しなかった事に怒って袁紹と絶縁し、これに激怒した袁紹により逆に攻められて捕らえられ、降伏を勧められるが受け入れなかったため殺された[1]。
『三国志演義』には登場しない。