脇田憲一

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脇田 憲一(わきた けんいち、1935年1月25日[1] - 2010年11月1日)は、労働運動史研究者[2]。元・大阪総評地方オルグ、高槻市議会議員(無所属1期)。枚方事件山村工作隊の実態を書いた『朝鮮戦争と吹田・枚方事件』(明石書店、2004年)は当事者による貴重な記録として知られる。

経歴[編集]

枚方事件[編集]

愛媛県生まれ。1951年に大阪に引っ越し、愛媛県立松山南高等学校から守口市立京阪高等学校夜間部に転学。1年目は運動具店、2年目は北浜の証券会社に勤務。1952年5月に日本民主青年団(民青)に加盟し、6月日本共産党の軍事組織・中核自衛隊に入隊。同月24日の旧枚方工廠爆破事件に見張隊の一員として参加、翌25日の小松正義方襲撃事件にも守口グループの一員として参加した(枚方事件)。10月5日に検挙され[3]、長期裁判の末、1967年11月に最高裁で懲役2年執行猶予2年の判決を受けた[1]

山村工作隊[編集]

1953年に18歳で共産党に入党[1]。同年7月に共産党守口市委員会派遣の水害救援隊の一員として奈良県吉野郡野迫川村で活動。8月に水害救援隊から山村工作隊(独立遊撃隊関西第一支隊)に入隊、高校に退学届を出し、奥吉野の山間部で活動。12月に大阪に戻り、補給活動に従事。1954年1月から6月まで大阪府中河内郡柏原町堅下で軍事オルグとして活動。地区軍事委員の指導に対する不満から任務放棄(ストライキ)を決行するが、査問・処分はなく、7月から12月まで八尾市木の本で軍事オルグとして活動。11月に来日した中国紅十字会代表団・李徳全一行を警護。1955年1月に2度目の任務放棄を行い奈良隊復帰を要望したが、2月にアカハタ城東分局に配属。六全協後の12月に分局員から解任。理由は「極左事件関係者は党機関メンバーから外す」という上級機関の決定があったからだという[4]

労働運動[編集]

1956年4月に大阪特殊製鋼株式会社製鋼工場に臨時工として入社。臨時工の本工化闘争で本工となり、組合執行委員、書記長として活動。1961年に第8回党大会の綱領論争で共産党を離党[5]、除名された[1]。1962年10月に工場閉鎖で失業し、1963年に中堅建材メーカーに営業マンとして就職、労働運動にも従事[1]東洋シヤッターの経営中枢にいた1973年、総評全国金属オルグの要宏輝らが大争議を起こし、直後に会社役員になるのが嫌で退職した[6]。大阪総評地方オルグとなり、交運産別、中央地区、北摂地区担当オルグを務めた[1]

市民運動[編集]

1985年に総評オルグを退職後、生協運動・市民運動に関わる。同年北摂生活者(トータル)ユニオン理事長、日本社会党高槻総支部長。1987年社会党を離党、同年5月北摂・高槻生活協同組合理事。1990年5月高齢者所帯配食サービスの「株式会社安全給食センター」を設立、同代表取締役。1991年6月から3年間北摂・高槻生活協同組合理事長。1995年4月高槻市議会議員に立候補し当選。1999年4月再選を目指したが2票差で落選。

2010年11月1日、拡張型心筋症(心臓病)で死去、享年75歳[1]

人物[編集]

  • 17歳のとき枚方事件に参加して検挙され、翌年に山村工作隊に入隊した。武装闘争路線が放棄された六全協後は共産党から見捨てられ、「極左冒険主義者」の汚名を背負ったが転向はしなかった[6]。2004年に吹田事件・枚方事件、奈良・和歌山における山村工作隊の実態を自分史も含めて書いた『朝鮮戦争と吹田・枚方事件』(明石書店)を刊行した。同書のあとがきの中で「私の人生の決定的な体験、その精神的体験は日本共産党の軍事闘争時代の三年間であり、運動的体験は大特闘争時代の七年間であった。後の運動人生はそのバリエーション(変奏曲)であったにすぎません」と述べている。
  • 1957年に個人誌『文学ノート』を創刊。1978年までに4号を刊行し、枚方事件、山村工作隊の記録を連載した[1]。また運動史研究会(1977年創立)、大阪労働運動史研究会(1980年創立)の支え手の一人となり、先輩運動家から聞き取りを行った[7]。運動史研究会編『運動史研究4 特集・五〇年問題―党史の空白を埋める』(三一書房、1979年)に「私の山村工作隊体験」を執筆した。
  • 思想の科学研究会会員、新日本文学会会員[4]
  • 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会会員。同会理論誌『光射せ!』第4号(2009年12月10日)に「朝鮮戦争に『参戦』した日本共産党―日本共産党史のリセットを―」を執筆した[8]
  • 全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(関西生コン支部)を高く評価した。同委員長の武建一が獄中にある中で共著を刊行した[9]

著書[編集]

  • 『奥吉野巡歴――山村工作隊から34年』(本音を語る会[本音文庫 第8巻]、1987年6月)
  • 『朝鮮戦争と吹田・枚方事件――戦後史の空白を埋める』(明石書店、2004年3月)
  • 『労働運動再生の地鳴りがきこえる――21世紀は生産協同組合の時代』(武建一共編著、社会批評社、2005年12月)

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h 脇田憲一さんを偲ぶ 関西共同行動
  2. 脇田憲一、武建一編著『労働運動再生の地鳴りがきこえる――21世紀は生産協同組合の時代』社会批評社、2005年
  3. 脇田憲一『朝鮮戦争と吹田・枚方事件――戦後史の空白を埋める』明石書店、2004年
  4. a b 脇田憲一「私の山村工作隊体験」、運動史研究会編『運動史研究4 特集・五〇年問題―党史の空白を埋める』三一書房、1979年
  5. 脇田憲一『朝鮮戦争と吹田・枚方事件――戦後史の空白を埋める』明石書店、2004年、759頁
  6. a b 要宏輝「十七歳で山村工作隊、枚方事件を闘った脇田憲一」、樋口篤三『樋口篤三遺稿集 第1巻』同時代社、2011年、279-281頁
  7. 伊藤晃「解説――抵抗権と武装権の今日的意味」、脇田憲一『朝鮮戦争と吹田・枚方事件――戦後史の空白を埋める』明石書店、2004年、775頁
  8. 訃報 脇田憲一様PDF”. 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会理論誌『光射せ!』第6号 (2010年10月8日). 2020年2月20日確認。
  9. 追悼 脇田 憲一さん 労働運動の再生願って活動した一生──管理職ユニオン・関西  仲村実 人民新聞(2010年12月10日)

外部リンク[編集]