美濃部直彦
選手情報 | |
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本名 | 美濃部直彦 |
生年月日 | 1965年7月12日(59歳) |
出身地 | 日本、滋賀県 |
身長 | 176 cm |
体重 | 68 kg |
ポジション | ディフェンダー |
クラブチーム | |
1992-1993 | ガンバ大阪 |
監督チーム | |
2006-2007 2008-2011 2013-2015 |
京都サンガFC 徳島ヴォルティス AC長野パルセイロ |
美濃部直彦(みのべ なおひこ、1965年7月12日 - )は日本のサッカー選手、監督。
指導歴[編集]
2006年10月、成績不振による柱谷幸一監督の解任を受けて、京都サンガFCの監督に就任。フォーメーションを4-4-2から3-5-2に変更し、同時にメンタル面の強化を図った。この結果崩壊状態だった守備はある程度改善されたものの、攻撃面では決定力不足に悩まされ続けた。結局チームは第33節に最下位でのJ2降格が決定し、美濃部も1勝も出来ないままシーズンを終えるが、監督交代が10月と同じくJ2降格が決まったC大阪や福岡に比べて大幅に遅れたことで、トップチーム初監督の美濃部にとっては不利な面があったこと、また美濃部自身が京都での指導歴が長いことなどから、翌2007年も引き続き指揮を執ることになった。
2007年、サッカーの質が上がらずなかなか波に乗れないながらも、充実した戦力を武器に堅実に勝ち点を重ね、第4クールまで自動昇格圏内の2位を維持し続ける。しかし、他チームの追い上げもあり、第44節に暫定3位に後退すると、10月7日には天皇杯3回戦で明治大学に0-1で破れたことから第45節を目前にした10月13日に突如解任(後任は当時総監督であった加藤久)。前任の柱谷に続くあまりに突然の解任は、サポーターの間で物議を醸した。
2013年よりAC長野パルセイロの監督に就任。開幕当初から上位につけるものの、当初の4-3-3のフォーメーションがフィットしなかったことや負傷者が続出したことで不安定な戦いぶりであった。このためフォーメーションを4-4-2、3-4-3に修正したことや、美濃部の分析力に裏打ちされた緻密なサッカーがチームに浸透したことで攻守に安定性を増し、JFL新記録となる24戦無敗を達成し、チームを初優勝に導いた。なお、同年のJFL最優秀監督賞を受賞した[1]。また、天皇杯でJ1名古屋などに勝利して4回戦に進出した。
クラブチームの統計[編集]
年度 | リーグ | 番 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 |
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G大阪 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
1992 | J | - | - | 2 | 1 | |
1993 | - | 13 | 2 | 4 | 0 | |
通算 | 13 | 2 | 6 | 1 | ||
総通算 | 13 | 2 | 6 | 1 |
外部リンク[編集]
- ↑ “第15回日本フットボールリーグ表彰式 受賞者決定!”. AC長野パルセイロ (2013年12月4日). 2013年12月19日確認。