籍田の碑
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籍田の碑(せきでんのひ)とは、山形県米沢市御廟3丁目14-15に存在する上杉鷹山ゆかりの碑である。籍田の遺跡(せきでんのいせき)ともいわれている。
概要[編集]
上杉家廟所から1キロのところに存在する。
米沢藩は元より、ケネディ大統領の演説によって世界にも最高の政治指導者として知られる上杉鷹山は、日向秋月藩からの養子として藩主に就任すると、度重なる借入で疲弊し、農民の逃散も深刻化した藩政を再建するために様々な藩政改革に着手している。安永元年(1772年)に鷹山は自ら耕地を開拓するために鍬入れ式を行なっている。この鍬入れ式とは中国で昔、皇帝自らが田にひと鍬を入れて、続いて家臣たちが3の倍数だけ鍬を入れて天下に農業を勧めた古い行事で、籍田の礼と言われているが、鷹山はこれに従って米沢の民衆に農業を奨めたといわれている。
一方で藩内の旧格維持派からは非難され、後の「七家騒動」の一因となった。
明治35年(1902年)に当時の内務大臣・平田東助の筆による記念碑が建立されている。
アクセス[編集]
- 米沢駅からバスで15分、バス停「御廟所西口」から徒歩で10分。