私学校
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私学校(しがっこう)とは、現在の鹿児島県鹿児島市城山町に存在した学校である。西郷隆盛や西南戦争で有名である。
概要[編集]
明治6年(1873年)に征韓論で大久保利通らに敗れた西郷隆盛は鹿児島に帰郷し、その西郷を慕って鹿児島に下った少壮の青年らを指導するために、鶴丸城の北隣に私学校を創建したのが起源である。
この私学校は篠原国幹が監督する銃隊学校と、村田新八が主宰する砲隊学校に分かれており、銃隊学校は旧近衛歩兵500人から600人、砲隊学校は砲兵出身者200名余りの生徒を教導した。明治10年(1877年)の西南戦争はこの私学校の生徒を中核として、鹿児島県下の不平士族らが集まって起こしたものであった。
現在は学校の建物は残っていないが、かつての西南戦争で撃たれた弾痕を留めた石垣は残っており、鹿児島県の指定史跡となっている。
アクセス[編集]
- 鹿児島駅から徒歩で10分。
外部リンク[編集]
- 私学校跡石塀 - 鹿児島県