甲斐犬
日本犬種の1つで、昭和4年(1929年)に当時甲府地検に赴任した安達太助が発見し、昭和6年(1931年)に「甲斐日本犬愛護会」を創立、昭和7年(1932年)日本犬保存会の初代会長斎藤弘吉、獣医師の小林承吉等が中巨摩郡芦安村(現南アルプス市)や奈良田村(後の西山村、現南巨摩郡早川町)に群生していた虎毛、立耳の地犬を調査し、発見した地方に因んで「甲斐犬(かいけん)」と命名、保存活動を開始した。
昭和9年(1934年)、天然記念物に指定された。昭和期には甲府市横近習町(現在の甲府市中央)の呉服商・大木喬策(八代目当主)が甲斐犬を飼育しており、喬策の愛犬「ケン号」は1932年(昭和7年)の第一回日本犬展覧会で山梨県知事賞を受賞している。昭和9年に甲斐犬が天然記念物に指定されると、喬策は「ケン号」を北白川宮に献上している。
形態[編集]
毛色は黒虎毛と中虎毛と赤虎毛とに分かれる。年齢を重ねるに従って虎毛がはっきりしてくることもある。虎毛は山野で狩りをするときの保護色となる。
虎毛部分の色がビール瓶を太陽に透かした様な美しい赤い色素を持つ個体を赤虎毛とするが、赤の色素の無い褐色の縞の黒虎毛も勇壮な虎模様を特徴とするため、「虎毛犬(とらげいぬ)」の別名をもつ。
※昨今黒一色で虎模様の無い甲斐犬が多数存在し、近親交配の弊害が心配されている。 ※中虎毛を、赤虎毛とも黒虎毛とも呼べない虎柄として低く評価するのは間違いで、赤も、黒もいずれも綺麗で艶のある個体が中虎毛で、色の抜けたハイエナの様な色合いの個体は中虎毛とは呼べない。
体高は、オスは47~53cm、メスは42~48cmで、日本犬種のなかでは中型犬に分類される。
また、体型より、「鹿犬型」(鹿型犬)と「猪犬型」(猪型犬)のタイプがあったが、現存する甲斐犬は、「鹿犬型」(鹿型犬)であり、猪の他、カモシカも追っていたとされ、細身で体が長めで、岩場に適応して垂直に飛び上がる力に優れている。
北海道犬や琉球犬、中国のチャウチャウなどと同様、舌斑を持つ等、弥生時代以前からの特徴を有している。太く長い毛と、細くてやわらかい短毛が密集している。尾は差し尾、または巻尾。
甲斐犬の評価ポイントは、三角形の肉厚な耳の角度、三角目の形、尾っぽの巻き方、足の開き方のバランス、飛節の角度などがある。
特性[編集]
- 北海道犬、琉球犬など他の日本犬に似た遺伝子構成を持つ。
- 山岳地帯での激しい狩猟に耐えうる体力や、ガレ場で鍛えられた独特の飛節を持つ。
- 元来、山梨県南アルプスの山岳地帯でイノシシやカモシカ、などの獣猟、キジなどの鳥猟や、小動物の五目猟、それに伴う諸作業に使用されていた敏捷な犬。疾走する様はあたかも弾丸のようである。
- 「甲斐犬は気性が荒い等のため、グループ猟より一銃一狗の単独猟でこそ、この犬種の猟性能が発揮されるという。
- 「気性が荒い・攻撃的」という本来の性格、また野趣あふれるその風貌からも「甲斐犬の飼育は難しい」というイメージが強い。しかし、甲斐犬飼育の権威と言われた柳沢琢郎氏は「いかに優れた血でも人を咬む犬の血は残すべきではない。」との信念から、所有犬が総理大臣杯を獲得したにもかかわらず、咬癖があったため血を残さなかった。今では同氏の尽力により、「気性が荒い」といわれる無意味な攻撃的血統はほぼ淘汰されており、しつけをきちんと行えば猟犬としてはもちろん、すぐれた家庭犬として能力を発揮して現在は番犬や家庭犬として広く飼育されている。しつけを誤れば危険であることは他犬種とて同じことである。
- 飼い主以外の人間には心を開かず、唯一人の飼い主に一生忠誠をつくすことから一代一主の犬とも評される。
- 最長寿記録 クロ号・黒虎毛・差尾・♀28歳7ヶ月・昭和13年(1938).1月生
下記外部リンク「甲斐犬 柳沢琢郎氏著書」参照
甲斐犬に関する文献[編集]
- 「甲斐犬」(1967年4月)甲斐犬愛護会発行
- 「甲斐犬現勢」(1973年10月)甲斐犬愛護会発行
- 「甲斐犬・柳沢琢郎執筆集」(2004年3月)