田中カ子

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
田中 カ子
たなか かね
生年月日 1903年1月2日
生誕地 日本国旗.png日本 福岡県糟屋郡和白村(現・福岡市東区)
死没日 2022年4月19日
死没地 日本国旗.png日本 福岡県福岡市東区
死因 老衰
国籍 日本国旗.png日本
住居 日本国旗.png日本 福岡県福岡市東区
民族 日本人
配偶者 田中英男
Wikipedia-logo.pngウィキペディアの生真面目ユーザーたちが田中カ子の項目をおカタく解説しています。

田中 カ子(たなか かね、旧姓太田(おおた)、1903年〈明治36年〉1月2日 - 2022年〈令和4年〉4月19日)は、福岡県福岡市東区在住の長寿の女性。2018年7月22日の都千代の死去以来、世界最高齢の人物としてギネス世界記録により認定されていた人物。日本並びにアジアで最も長生きした人物であり、フランスジャンヌ・カルマンに次ぐ世界歴代の長寿記録保持者でもある。

人物[編集]

福岡県糟屋郡和白村(現・福岡市東区)出身。田中の生まれた1903年はライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功した年である。田中は1903年生まれに生まれた人物の世界最後の生き残りでもある。

1922年に1歳年上(同学年)のいとこの田中英男(1993年に死去)と結婚。

2018年7月22日に冒頭に記載の通り世界最高齢者となり、2019年3月、存命する世界最高齢者としてギネス世界記録による認定証が授与された。

2020年9月19日、117歳261日の年齢でそれまで最高齢だった田島ナビの記録を上回り、日本歴代1位並びにアジア歴代1位、及びジャンヌ・カルマンサラ・ナウスに次ぐ世界歴代3位の長寿となった。なお、1986年に120歳で死去されたとされる、鹿児島県徳之島町の泉重千代は、実際には105歳であったとしてギネス世界記録の公認を2011年に取り消されている。

2021年1月2日には日本人初、人類史上3人目となる118歳の誕生日を迎えた。翌年の2022年1月2日には同じく日本人初、人類史上3人目となる119歳の誕生日を迎えている。田中はジャンヌ・カルマンの死去以来、及び21世紀において、長寿世界一であった期間が最も長い人物でもある(3年と271日)。

2022年1月26日、乙成ヨシの死去により明治30年代生まれの日本人の最後の生き残りとなった。

同年4月9日にはサラ・ナウスの記録(119歳97日)に並び、ジャンヌ・カルマンに次ぐ歴史上2位の長寿記録となった。翌日の4月10日に119歳98日となり、単独で歴代2位となった。

2022年4月19日午後に死去[1]。119歳と107日であった。彼女の死が報道されたのは、死後6日が経った4月25日になってからの事であり、偶然にも新たに日本最高齢となった大阪府の巽フサが115歳の誕生日を迎えた日でもあった(巽が115歳を迎えた4月25日は奇しくも1年のうちの115日目の日でもある。)。彼女の死により、フランスのリュシル・ランドンが世界最高齢者となった。

生前は、コーラやオロナミンCなどの炭酸飲料が好物であった。また、ジャンヌ・カルマンと同様にチョコレートも好物であった[2]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 花田衞 『花も嵐も107歳 田中カ子・長寿日本一への挑戦』 梓書院、2010年5月14日。ISBN 978-4-87035-380-0

関連項目[編集]

  • 木村次郎右衛門 - 男性の日本(及び世界)の最長寿命の記録者。田中の亡くなった4月19日は、木村の誕生日でもある。
  • 中地シゲヨ - 同時期に隣県である佐賀県に居住し115歳345日まで生存。
  • 乙成ヨシ - 田中と同じ福岡県在住で、中地シゲヨの死後田中に次ぐ日本2位の高齢者となった人物。2022年1月、115歳40日で逝去。福岡県歴代2位の長寿記録保持者。

外部リンク[編集]