生麦事件の碑
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生麦事件の碑(なまむぎじけんのひ)とは、現在の神奈川県横浜市鶴見区生麦1-16に存在する生麦事件ゆかりの石碑である。
概要[編集]
第1京浜国道沿い、横浜港への引込み線のガード近くにある。周囲を工場や住宅に囲まれた広さ20平方メートルほどの敷地の四方を石垣で小高くし、イチョウやアオギリなどが植えられた中央部に高さ1.6メートル余りほどの根府川石の自然石が据えられ、旧跡を記念して碑文が刻まれている。
ここでは幕末の文久2年8月21日(1862年9月14日)に薩摩藩に帰国途上の島津久光の行列が碑のある場所を通りかかった際にイギリス人の男女合わせて4名に馬に乗ったまま行列を横切られたため、これに激怒した薩摩藩士が4人のうちの1人であるイギリス商人のチャールズ・レノックス・リチャードソンを斬殺し、さらに2人を負傷させるという、いわゆる生麦事件を引き起こした。これに対してイギリス側は江戸幕府と薩摩藩に対して犯人の引渡しと賠償金を要求し、幕府は10万ポンドを支払ったが、薩摩藩は一切を拒否したため、翌年にイギリスの艦隊が鹿児島を砲撃する薩英戦争に発展した。この事件は当時尊王攘夷が盛んな中でも最大の攘夷事件だった。
この石碑は明治16年(1883年)に旧幕府の学者である中村正直がリチャードソンの死去を悼んで建立したものと伝わっている。
アクセス[編集]
- 生麦駅から徒歩で10分。