王粛
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王 粛(おう しゅく、195年 - 256年)は、中国の三国時代の魏の政治家。字は子雍(しよう)[1]。父は王朗。子は王惲・王恂・王虔・王愷・王元姫(司馬昭の妻)。従兄弟は王詳。外孫に司馬炎・司馬攸。
生涯[編集]
徐州東海郡郯県(現在の江蘇省連雲港市東海県)の出身[1]。文帝の時代に散騎侍郎となり、240年に広平郡の太守になるが、すぐに中央に召還されて議郎、侍中、太常となる[1]。255年の毌丘倹・文欽の乱では司馬師に味方して敵軍の自壊を待つ策略を進言して鎮圧に貢献する[1]。256年に死去[1]。享年62。諡号は景侯[1]。
娘の王元姫は司馬昭に嫁いで司馬炎(武帝)の生母となり、王氏は西晋の外戚となった[1]。
『三国志演義』では第99回で初登場し、史実どおり毌丘倹・文欽の乱鎮圧に貢献する。司馬師の没後に娘婿の司馬昭が継承した際に封爵を伝える使者となった。