特攻隊戦没者慰霊塔
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特攻隊戦没者慰霊塔(とっこうたいせんぼつしゃいれいとう)とは、鹿児島県鹿屋市今坂町12560に存在する慰霊塔である。
概要[編集]
海上自衛隊鹿屋航空基地は旧特攻隊基地があった場所で、ここを見下ろす小高い丘の上に建てられた慰霊塔である。
太平洋戦争は昭和17年(1942年)の中頃から既に日本軍の敗色が濃厚になりつつあった。しかし、東條英機をはじめとする日本の愚かな戦争指導者らは戦局を何とか挽回しようと愚かな作戦を立てた。それが航空機で機体ごと敵機や艦隊に体当たりする特攻である。鹿屋はこの時、その特攻基地となった。ここから飛び立った若者は死の片道切符を手に2度と帰ることはなく、その尊い命は1000人を軽く超えたという。鹿屋市では戦後になってこれら特攻隊員の御霊を祀るため、昭和32年(1957年)10月に「旧鹿屋航空基地特攻隊戦没者慰霊塔建立期成会」を発足させ、日本全国に協力を呼びかけ、その結果として集められた浄財を基にして、昭和33年(1958年)3月20日に慰霊塔が建立された。
慰霊塔の碑文には「今日また黒潮おどる海洋にとびたち行きし友はかえらず、太平洋戦中鹿屋航空基地より飛び立ち肉弾となって散った千有余の特攻隊員御霊よ安かれ、必ずや平和のいしずえとならん」と記されている。
なお、慰霊塔を中心に丘一帯は小塚公園となっている。