「フォーラム:書きかけテンプレートの廃止について」の版間の差分
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(→廃止の提案: 訂正: 流石に言いすぎだと思いました。誰に対しても暴言は許容されるものでは有りません。被ブロック者であろうと、言っていいことと悪いことがあります) |
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***(ドンドン脱線)そのへんの明記がないの考えものですね。あと「1人で2回投票」したわけじゃないので「多重アカウントの投票」といえるか微妙ですね。まぁ肌感覚としては、こういう投票は無効扱いしていきたいのですが...。---<ins>謎の管理者もどき [[利用者:BadEditor|<span style="text-shadow:3px 3px 3px #d0d0d0">'''B'''ad'''E'''ditor</span>]]</ins> 2022-10-24T21:34:24 (JST) | ***(ドンドン脱線)そのへんの明記がないの考えものですね。あと「1人で2回投票」したわけじゃないので「多重アカウントの投票」といえるか微妙ですね。まぁ肌感覚としては、こういう投票は無効扱いしていきたいのですが...。---<ins>謎の管理者もどき [[利用者:BadEditor|<span style="text-shadow:3px 3px 3px #d0d0d0">'''B'''ad'''E'''ditor</span>]]</ins> 2022-10-24T21:34:24 (JST) | ||
{{折りたたみ|title= | {{折りたたみ|title=複数アカウントの不正利用として無期限ブロック済みユーザーのコメント群| | ||
*Wikipediaスタブが貼られていることが動機となって「おっ、この記事に加筆してやるか」という気になったことがあるミスター・ジャックです。ただ、そう思って加筆しようとした記事は、大概、自分がサブスタブのテンプレートを貼って初稿を投じ、誰にも加筆してもらえていない記事でした。嗚呼…。<br>私自身、「スタブ」や「サブスタブ」、「書きかけ」に、大して悪さを感じないクチです。「書きかけ」と記事の文章量の多寡は、定義上の必要要件ではないとも考えます。短くても情報として価値があれば、それは立派な記事ですし、長くても記述が中途半端であれば「書きかけ」でしょう。自分では立派な記事だと思っていても、造詣の深い方々からすれば加筆の余地のある「書きかけ」であることはザラにあります。<br>誰でも執筆・加筆が出来るというサイトの性質上、全ての記事は「書きかけ」であり、それをいちいち標榜しなくてよろしいというのは、確かにそうですね。特別に加筆を求めたいのであれば「加筆依頼」を使えばいいというのも、ごもっともです。ただ、「加筆依頼」を見たり、加筆依頼を出したりする習慣のない私のような人(私しかいないのか?)にとっては、「書きかけ」のテンプレートは、自分の記事に加筆・訂正を依頼する簡便な方法です。記事に「この項目「●●」は、まだ書きかけです。加筆、訂正などをしてくださる協力者を求めています!」というアピールがあると、誰かがいつか現れて、加筆してくれるのではないか、と思うのですね。さらに、何が何でも加筆してほしい場合には、「加筆依頼」を出しつつ、「書きかけ」のテンプレートを併用すれば、より加筆される確率が高くなるのではないでしょうか?<br>尤も、廃止すべきという意見の中に、「他人の書いた記事に貼ることもできるが、貼られて不愉快になる人もいる」という意見もありますね。これは「書きかけ」の正しい用法によって不快になった人がいるのか否か、あるいは利用者が「書きかけ」にどういう意味を含ませて利用し、相手を不快にさせたか(あるいは被害を訴える人が、どう意味を読み取ったか)が問題になるのではないかと思います。--[[利用者:Accceeh jloqsu|ミスター・ジャック]] ([[利用者・トーク:Accceeh jloqsu|トーク]]) 2022-10-13T00:32:31 (JST) | *Wikipediaスタブが貼られていることが動機となって「おっ、この記事に加筆してやるか」という気になったことがあるミスター・ジャックです。ただ、そう思って加筆しようとした記事は、大概、自分がサブスタブのテンプレートを貼って初稿を投じ、誰にも加筆してもらえていない記事でした。嗚呼…。<br>私自身、「スタブ」や「サブスタブ」、「書きかけ」に、大して悪さを感じないクチです。「書きかけ」と記事の文章量の多寡は、定義上の必要要件ではないとも考えます。短くても情報として価値があれば、それは立派な記事ですし、長くても記述が中途半端であれば「書きかけ」でしょう。自分では立派な記事だと思っていても、造詣の深い方々からすれば加筆の余地のある「書きかけ」であることはザラにあります。<br>誰でも執筆・加筆が出来るというサイトの性質上、全ての記事は「書きかけ」であり、それをいちいち標榜しなくてよろしいというのは、確かにそうですね。特別に加筆を求めたいのであれば「加筆依頼」を使えばいいというのも、ごもっともです。ただ、「加筆依頼」を見たり、加筆依頼を出したりする習慣のない私のような人(私しかいないのか?)にとっては、「書きかけ」のテンプレートは、自分の記事に加筆・訂正を依頼する簡便な方法です。記事に「この項目「●●」は、まだ書きかけです。加筆、訂正などをしてくださる協力者を求めています!」というアピールがあると、誰かがいつか現れて、加筆してくれるのではないか、と思うのですね。さらに、何が何でも加筆してほしい場合には、「加筆依頼」を出しつつ、「書きかけ」のテンプレートを併用すれば、より加筆される確率が高くなるのではないでしょうか?<br>尤も、廃止すべきという意見の中に、「他人の書いた記事に貼ることもできるが、貼られて不愉快になる人もいる」という意見もありますね。これは「書きかけ」の正しい用法によって不快になった人がいるのか否か、あるいは利用者が「書きかけ」にどういう意味を含ませて利用し、相手を不快にさせたか(あるいは被害を訴える人が、どう意味を読み取ったか)が問題になるのではないかと思います。--[[利用者:Accceeh jloqsu|ミスター・ジャック]] ([[利用者・トーク:Accceeh jloqsu|トーク]]) 2022-10-13T00:32:31 (JST) | ||
**加筆される可能性を排除できない記事は、いかに決定稿のように思えても「書きかけ」であるというスタンスに立てば、全ての記事は「書きかけ」だということ。このことは、先立って申し上げました。付け加えて言うならば、現状の記事の作成中・編集中の画面には、「Enpediaへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (詳細は[[Enpedia:著作権]]を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。」と書かれていて、自分が書いたものが他の人に容赦なく編集されることを織り込み済みで、皆さんは記事を執筆したり、編集したりしているわけです。<br>そういう状況に於いて、敢えて「書きかけ」のテンプレートを貼るメリットは、その記事に出くわした人が、「俺の知っていることが書かれていないし…。よし、俺も加筆してみようかな!」という気になるのではないかということです。([[Rest:日記/2022-10-12]]では「ここ最近は毎日4000人強の閲覧者、1~2万のページビューがあるらしい。」とのことなので、一人くらいは加筆してみようかな…と思う人が出てきてくれればと思います。)<br>Wikipediaでも、全ての記事は加筆される可能性を排除できない「書きかけ」として存在している筈なのですが、意外と「スタブ」や「サブスタブ」のテンプレートが張られていない記事で加筆すると、加筆前の稿を書いた人が「俺が執筆した原稿が気に入らねぇってのか!?」とばかりに編集しなおし、編集合戦に発展するというケースもありましたね。また、Wikipediaの「スタブ」や「サブスタブ」というワードが含意するものも、発展する可能性のある種のようなポジティヴな意味ではなく、スタブやサブスタブであることが悪であるかのような意味を含むことが少なくないようです。Wikipediaが、こうしたネガティブな意味の延長線上として、記事に「スタブ」や「サブスタブ」を、アーヴィン・ゴッフマン流のスティグマのように貼り、執筆者の自尊心を傷つける道具として、このワードを使用しているのであれば、それは記事潰し、執筆者のメンタル潰しでしかなく、関わる人をうんざりさせるものです。私がWikipediaで活動していた時、自分の執筆する初稿に「サブスタブ」のテンプレートを貼り付けていたのは、一つは自分の書いた記事が完璧な原稿だと思いあがらないようにという、自分への戒めであり、もう一つは、自分の執筆した記事を第三者の目でチェックしてもらい、もっと充実した記事に育ててほしいという願いからでした。なので、私自身は、「スタブ」や「サブスタブ」という言葉に、むしろ記事が育つ可能性を見い出していました。しかし、Wikipedia一般の認識では、「スタブ」や「サブスタブ」といった言葉には、関わる人をうんざりさせるような侮蔑的なものが含意されているようです。<br>「『スタブではなく書きかけです』というのは、内輪の人間にしか通じない言葉遊びであり、パット見の印象はスタブ以外の何物でもない。」というBadEditor氏の指摘には、こうした、Wikipediaにおける「スタブ」という言葉にこびりついた、関わる人をうんざりさせるような侮蔑的な含意が前提にあると考えられます。Enpediaは、Wikipediaに於ける悪しき意味を含意する「スタブ」と決別し「書きかけ」というワードを編み出したのですから、それをわざわざ「スタブ」の亡霊と結び付けて破壊するのはもったいない、と感じています。つまり、言葉遊びではなく「スタブではなく書きかけです」と毅然と言う手立てが議論されれば、Enpediaの独自性を、より深く打ち出せるのではないか、と考える次第です。「書きかけ」には、人をうんざりさせるような悪い意味をこびりつかせるべきではありません。<br>では、どうやったら、悪い意味をこびりつかせずに「書きかけ」を使えるかを考えてみたいと思います。<br>そもそも「書きかけ」なんてものがなければ、面倒事とおさらばできるというのは、一つの案としては有効ですが、「ハサミは道具だが、凶器にもなる。そんな危ないものは無くしてしまえ。」みたいなレトリックに思えて、釈然としないところがあります。また、包摂主義的観点から、有効利用の道はないものか、と考えてしまいます。<br>浅学非才な私では妙案が思い浮かばないのですが、一つは、「この項目「●●」は、まだ書きかけです。加筆、訂正などをしてくださる協力者を求めています!」という文言がWikipediaっぽいので、別の言い回しに変えてみる(ついでにデザインも一新する?)というのは手かと。この文言について、コンペでも開いて妙案を募るのも良いのではないかと。もう一つは、使用制限をかけるというのも有効かと考えます。「他人の書いた記事に貼ることもできるが、貼られて不愉快になる人もいる」ということであれば、自分で貼る分には不愉快にはなりません。記事を執筆した本人は、記事を読む人に加筆・訂正の協力を求めるという意図で「書きかけ」を掲示しても良い、ということが出来ると思います。また、「加筆依頼」でリストアップされている記事については、誰でも「書きかけ」を掲示しても(しなくても)良いのではないでしょうか。この場合、記事を執筆した本人が「加筆依頼」には載せたけれども「書きかけ」の掲示はしなくてもいいと判断した場合には、他の人がつけた「書きかけ」を取り外してよく、その掲示と取り外しで編集合戦にならないようにできるといいですね。こうした使用ルールを緩く定めれば、「加筆依頼」にも記載がなく、記事を執筆した本人が「書きかけ」を掲示していない記事に、他人がやたらと「書きかけ」を掲示して回るのは「ダメ!」と言えるようになると思います。<br>以上、トップページで、この件に対する投票のことを知り、自分の立場として包摂主義を掲げていることと、「書きかけ」のテンプレートを自分の執筆記事で愛用していることから、長々と私見を述べさせていただきました。--[[利用者:Accceeh jloqsu|ミスター・ジャック]] ([[利用者・トーク:Accceeh jloqsu|トーク]]) 2022-10-13T23:38:59 (JST) | **加筆される可能性を排除できない記事は、いかに決定稿のように思えても「書きかけ」であるというスタンスに立てば、全ての記事は「書きかけ」だということ。このことは、先立って申し上げました。付け加えて言うならば、現状の記事の作成中・編集中の画面には、「Enpediaへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (詳細は[[Enpedia:著作権]]を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。」と書かれていて、自分が書いたものが他の人に容赦なく編集されることを織り込み済みで、皆さんは記事を執筆したり、編集したりしているわけです。<br>そういう状況に於いて、敢えて「書きかけ」のテンプレートを貼るメリットは、その記事に出くわした人が、「俺の知っていることが書かれていないし…。よし、俺も加筆してみようかな!」という気になるのではないかということです。([[Rest:日記/2022-10-12]]では「ここ最近は毎日4000人強の閲覧者、1~2万のページビューがあるらしい。」とのことなので、一人くらいは加筆してみようかな…と思う人が出てきてくれればと思います。)<br>Wikipediaでも、全ての記事は加筆される可能性を排除できない「書きかけ」として存在している筈なのですが、意外と「スタブ」や「サブスタブ」のテンプレートが張られていない記事で加筆すると、加筆前の稿を書いた人が「俺が執筆した原稿が気に入らねぇってのか!?」とばかりに編集しなおし、編集合戦に発展するというケースもありましたね。また、Wikipediaの「スタブ」や「サブスタブ」というワードが含意するものも、発展する可能性のある種のようなポジティヴな意味ではなく、スタブやサブスタブであることが悪であるかのような意味を含むことが少なくないようです。Wikipediaが、こうしたネガティブな意味の延長線上として、記事に「スタブ」や「サブスタブ」を、アーヴィン・ゴッフマン流のスティグマのように貼り、執筆者の自尊心を傷つける道具として、このワードを使用しているのであれば、それは記事潰し、執筆者のメンタル潰しでしかなく、関わる人をうんざりさせるものです。私がWikipediaで活動していた時、自分の執筆する初稿に「サブスタブ」のテンプレートを貼り付けていたのは、一つは自分の書いた記事が完璧な原稿だと思いあがらないようにという、自分への戒めであり、もう一つは、自分の執筆した記事を第三者の目でチェックしてもらい、もっと充実した記事に育ててほしいという願いからでした。なので、私自身は、「スタブ」や「サブスタブ」という言葉に、むしろ記事が育つ可能性を見い出していました。しかし、Wikipedia一般の認識では、「スタブ」や「サブスタブ」といった言葉には、関わる人をうんざりさせるような侮蔑的なものが含意されているようです。<br>「『スタブではなく書きかけです』というのは、内輪の人間にしか通じない言葉遊びであり、パット見の印象はスタブ以外の何物でもない。」というBadEditor氏の指摘には、こうした、Wikipediaにおける「スタブ」という言葉にこびりついた、関わる人をうんざりさせるような侮蔑的な含意が前提にあると考えられます。Enpediaは、Wikipediaに於ける悪しき意味を含意する「スタブ」と決別し「書きかけ」というワードを編み出したのですから、それをわざわざ「スタブ」の亡霊と結び付けて破壊するのはもったいない、と感じています。つまり、言葉遊びではなく「スタブではなく書きかけです」と毅然と言う手立てが議論されれば、Enpediaの独自性を、より深く打ち出せるのではないか、と考える次第です。「書きかけ」には、人をうんざりさせるような悪い意味をこびりつかせるべきではありません。<br>では、どうやったら、悪い意味をこびりつかせずに「書きかけ」を使えるかを考えてみたいと思います。<br>そもそも「書きかけ」なんてものがなければ、面倒事とおさらばできるというのは、一つの案としては有効ですが、「ハサミは道具だが、凶器にもなる。そんな危ないものは無くしてしまえ。」みたいなレトリックに思えて、釈然としないところがあります。また、包摂主義的観点から、有効利用の道はないものか、と考えてしまいます。<br>浅学非才な私では妙案が思い浮かばないのですが、一つは、「この項目「●●」は、まだ書きかけです。加筆、訂正などをしてくださる協力者を求めています!」という文言がWikipediaっぽいので、別の言い回しに変えてみる(ついでにデザインも一新する?)というのは手かと。この文言について、コンペでも開いて妙案を募るのも良いのではないかと。もう一つは、使用制限をかけるというのも有効かと考えます。「他人の書いた記事に貼ることもできるが、貼られて不愉快になる人もいる」ということであれば、自分で貼る分には不愉快にはなりません。記事を執筆した本人は、記事を読む人に加筆・訂正の協力を求めるという意図で「書きかけ」を掲示しても良い、ということが出来ると思います。また、「加筆依頼」でリストアップされている記事については、誰でも「書きかけ」を掲示しても(しなくても)良いのではないでしょうか。この場合、記事を執筆した本人が「加筆依頼」には載せたけれども「書きかけ」の掲示はしなくてもいいと判断した場合には、他の人がつけた「書きかけ」を取り外してよく、その掲示と取り外しで編集合戦にならないようにできるといいですね。こうした使用ルールを緩く定めれば、「加筆依頼」にも記載がなく、記事を執筆した本人が「書きかけ」を掲示していない記事に、他人がやたらと「書きかけ」を掲示して回るのは「ダメ!」と言えるようになると思います。<br>以上、トップページで、この件に対する投票のことを知り、自分の立場として包摂主義を掲げていることと、「書きかけ」のテンプレートを自分の執筆記事で愛用していることから、長々と私見を述べさせていただきました。--[[利用者:Accceeh jloqsu|ミスター・ジャック]] ([[利用者・トーク:Accceeh jloqsu|トーク]]) 2022-10-13T23:38:59 (JST) |
2022-10-25T01:23:37時点における版
テンプレート:書きかけに、カテゴリをつけたほうがいいと思うのですが、みなさんはどう思いますか?
なぜカテゴリをつけようと思っているのかというと、書きかけの記事の把握をしたいためです。----BY Bfm (talk) 2022-09-22T14:24:49 (JST)
- 特別:リンク元/テンプレート:書きかけで事足りるかと。--新型電気式気動車/Mc73990 (トーク) 2022-09-22T14:26:36 (JST)
- 過去の議論
- もう、{{書きかけ}}を廃止でよくないすか? ホントは2015年にスタブを廃止した時点でスッパリ無くしたかったんだけど、なぜか{{書きかけ}}という形に落ち着いてしまい......あまり他人と衝突するのもイヤだなと思って、当時は強く言いませんでしたが。{{ソース募集}} とか {{書きかけ}} とか、ウィキペディアの真似して惰性で使い続けているテンプレートが、本当にエンペディアに必要なのか、みなさんに今一度考えて頂きたいです。ここはエンペディアです、ウィキペディアではないのです。どれだけ短い記事を投稿しても、別に問題ではないのです。そして、本当に加筆したい奴は{{書きかけ}}が有ろうが無かろうが、勝手に加筆するのです。---謎の管理者もどき BadEditor 2022-09-22T14:59:48 (JST)
- 過去にも書きかけのテンプレートを巡って鉄道記事では議論が交わされました。そのことを踏まえるとそもそもカテゴリあっても鯖落ちしないのかな…と。カテゴリがあってもいいですけど莫大な量になりそうですし。ーー𝙏𝙨𝙪𝙧𝙪𝙠𝙖𝙬𝙖-𝙏𝙤𝙣𝙙𝙤𝙣/𝘉𝘶𝘤𝘩𝘰(𝘁𝗮𝗹𝗸/𝗹𝗼𝗴) 2022-09-22T15:02:52 (JST)
- あっえーと鉄道記事だけでかなりのページに書きかけが貼られているのでーー𝙏𝙨𝙪𝙧𝙪𝙠𝙖𝙬𝙖-𝙏𝙤𝙣𝙙𝙤𝙣/𝘉𝘶𝘤𝘩𝘰(𝘁𝗮𝗹𝗸/𝗹𝗼𝗴) 2022-09-22T15:03:24 (JST)
- いっそ廃止にも賛成です。—---BY Bfm (talk) 2022-09-22T15:05:27 (JST)
- 廃止となると問題はテンプレートを剥がす作業ですね。1000件以上もあると最近の更新が埋まってしまうのが問題になります。--新型電気式気動車/Mc73990 (トーク) 2022-09-22T15:07:43 (JST)
- (賛成寄り) スタブ記事を全面的に認めているエンペディアにとって、このTemplateは使用用途が多すぎてキリがありません。「加筆が必要な記事を周知する」という用途は、Enpedia:加筆依頼が担っているので大丈夫そうですね。
- 質問 AutowikiBrowserってEnpediaで使えたんでしたっけ。もし使用可能なら、私も協力できます。--1108-Kiju/Talk 2022-09-22T19:28:33 (JST)
- 技術的には使えると思いますが、Enpedia:ボットの記載によるとスタッフの許可が必要になります。スタッフやコミュニティの合意なくボットを使用しないでください(先行議論:Enpedia:バグの報告/解決済み#AutoWikiBrowserを導入したいが…)--かにふとん (トーク) 2022-09-22T22:33:12 (JST)
- いま数えたら、ざっと25,000件以上はあるみたいですね。やっぱり7年前の時点で、息の根を止めておくべきだったか....。 まぁ、{{書きかけ}} を白紙化するという廃止方法もなくはないですし、「廃止すべきかどうか」という本筋とは分けて考えていいと思います。---謎の管理者もどき BadEditor 2022-09-22T22:46:34 (JST)
- フォーラム:テンプレート:書きかけを廃止しませんか?廃止を検討している人はこちらにお願いします。----BY Bfm (talk) 2022-09-27T15:12:49 (JST)
- 別に、このフォーラムのままでよくないですか。えだ蔵さん以外にカテゴリを気にしている人がいないので、みんなで新しいフォーラムに引っ越したら、このフォーラムが空になるだけです。---謎の管理者もどき BadEditor 2022-10-01T14:14:58 (JST)
- いまさらですが、カテゴリ・トーク:書きかけの記事 という議論が過去にあって「余計なカテゴリを付けると 特別:カテゴリ未導入のページ に本来含まれるべきページが洗い出しにくくなり、雑草抜きに支障を来たすから、カテゴリ付与は不要」という結論が出ているんですよね。というわけで、カテゴリは明確に不要。
- このまま他のコメントがなければ、さくっと投票で {{書きかけ}} の廃止を決めちゃいましょ。---謎の管理者もどき BadEditor 2022-10-01T14:14:58 (JST)
【打診】コメントも出尽くしたようなので、まず「書きかけを廃止するか否か」、2週間程度の投票で決定。もし「廃止」が決まったら次に、{{書きかけ節}} {{書きかけインライン}} {{書きかけもどき}} といった関連テンプレートをどうするかを、それぞれ投票で決定。という2段階でどうでしょ。---謎の管理者もどき BadEditor 2022-10-08T08:15:22 (JST)
廃止の提案
では、投票に移りたいと思います。
- 提案内容: {{書きかけ}} の廃止 ※ {{書きかけ節}} {{書きかけインライン}} などはひとまず考えない
- 廃止が決まった際の手順
- 投票期間: ~10/26 23:59まで ---謎の管理者もどき BadEditor 2022-10-12T08:49:27 (JST)
- 「書きかけ」の廃止に賛成
- 謎の管理者もどき BadEditor 2022-10-12T08:49:27 (JST)
- 強く賛成----えだ蔵 (トーク)2022-10-12T14:16:57 (JST)
- 賛成します --そらまめ(とーく|めーる|きろく)2022-10-12T21:10:20 (JST)
- 賛成します。--すみっコぐらし2 (トーク) 2022-10-12T21:27:04 (JST)
- --ソクラメダ (トーク) 2022-10-12T22:46:04 (JST)
- 新型電気式気動車/桜小路こむぎ (トーク) 2022-10-12T12:07:04 (JST)切り替え、編集フィルターさえあれば--新型電気式気動車/桜小路こむぎ (トーク) 2022-10-12T22:50:18 (JST)
- --ナムコォッ!(トーク/投稿記録) 2022-10-14T18:14:15 (JST)
- 書きかけ貼っても貼らなくてもあんま変わらないので…ーー𝙏𝙨𝙪𝙧𝙪𝙠𝙖𝙬𝙖-𝙏𝙤𝙣𝙙𝙤𝙣/(Formar)Bucho(𝘁𝗮𝗹𝗸/𝗹𝗼𝗴) 2022-10-19T11:42:47 (JST)
- Yurupedia (トーク) 2022-10-19T20:26:59 (JST)
- 賛成します。--こうき (問い合わせ・記録) 2022-10-20T07:15:32 (JST)
- 賛成です。どんな記事でも加筆の余地がありますし、ある意味全ての記事が完成形でない「書きかけ」です。--Marmaray (トーク) 2022-10-24T22:27:07 (JST)
- 「書きかけ」の廃止に反対
- 無効票(EP:投票権の方針を満たしていません)
- --パンダ会長/わんだほーい(会話/投稿) 2022-10-17T23:36:09 (JST) 賛成から移動しました
- 賛成に投票する人が多いのだから、賛成に投票するべき。--健啖家 (トーク) 2022-10-19T10:58:48 (JST) 賛成から移動しました
- Wikipdediaと勘違いされる要素は廃止すべき。--耗浩然 (トーク) 2022-10-20T18:02:35 (JST) 賛成から移動しました
- コメント
- 廃止派です。廃止に賛成の理由を思いつくままに列記します。
- ニコニコ大百科やピクシブ百科事典には「スタブ/書きかけ」という概念は無いし、無くて困ったという話もない。みなさんは、ニコ百やピク百を閲覧している時に「この記事みじかいな~、最後にスタブテンプレートが無いとなんかしっくりこないな~、貼りたいな~」と思いますか? 僕は1回も思ったことがありません。
- Enpedia の「書きかけ」は、Wikipedia から何となく持ってきたものを惰性で使い続けているだけであり、それ以上の意味はない。
- ふらっと Enpedia を訪れた閲覧者が「あっ、ここって Wikipedia と似た感じで運営されてるサイトなのね」と勘違いすることの損失は大きい。Wiki を使っている以上、ある程度デザインが似通うのは仕方ないが、似せる必要のないところまで似せる必要はない。[小泉構文] 独自色を出したほうがよい。
- 「スタブではなく書きかけです」というのは、内輪の人間にしか通じない言葉遊びであり、パット見の印象はスタブ以外の何物でもない。
- エンペディアは、短い記事を気軽に投稿してもよい場所であり、「書きかけ」を特別視する理由がない。書きかけで何が悪いのか? 「短い記事の存在は問題だ」と心の片隅で考えてしまっている人たちは、マジでエンペディアを引退して、ウィキペディアにお引越しして頂きたい。
- どこまで加筆すれば「書きかけ」でないのか、基準が曖昧。貼ろうと思えば、ほぼ全ての記事に貼ることができ、キリがない。すべての記事に貼って回る利用者がいたところで、止めることはできない。
- 他人の書いた記事に貼ることもできるが、貼られて不愉快になる人もいる(トーク:賢島駅)。この気持ちはよくわかります。テンプレート・トーク:ウィキペディア無理 のケースと同様に、大元の原因を絶つのが賢明。
- 特別に加筆を求めたいなら「Enpedia:加筆依頼」を利用すればよい。
- みなさん、ウィキペディアを閲覧している時のことを考えてほしいのですが、スタブが貼られていることが動機となって「おっ、この記事に加筆してやるか」という気になったことは、人生で何回ありますか? 僕は1回もありません。興味のある分野の記事なら、スタブがあろうがなかろうが勝手に加筆しますし、そこまで興味のない記事ならスタブがあろうが、読むだけで終わりです。
- 記事の文章量が少ないというのは「見れば分かる」話であり、わざわざメッセージを掲示する意味がない。分かりきったことを再度、掲示することのメリットは一体何なのか。読者になんら新しい情報を与えないくせに、スペースだけ消費している。
- 過去の議論を知らずに「カテゴリを作ろう」という話を蒸し返す人が、今後も何度でも現れる。
- ---謎の管理者もどき BadEditor 2022-10-12T14:06:17 (JST)
- 賛成します。(外部サイトの話を持ってくる事はよろしくないと分かっています。すみません。)自分は、ウィキペディアで70件以上の野球選手の記事を作成していますが、それに{{書きかけ}}を貼ったことは一度もありません。そして、野球選手の記事に貼ってあるのを見かけますが、それにも全く必要性を感じません。BadEditorさんと同じ意見にはなってしまいますが、「{{書きかけ}}が貼ってある」という理由で加筆をしようと思うこともないと思います。懸念点は、剥がすのが面倒なことくらいでしょうか。--そらまめ(とーく|めーる|きろく)2022-10-12T21:10:20 (JST)
- 少なくともこれ以降書きかけを気づかずに貼る者も出てくるでしょう。編集フィルターでエラーを吐くように設定できれば賛成に切り替えます。--新型電気式気動車/桜小路こむぎ (トーク) 2022-10-12T21:40:19 (JST)リンクを付加--新型電気式気動車/桜小路こむぎ (トーク) 2022-10-12T21:45:20 (JST)
- 投票せずコメントのみ。「すべての記事が書きかけである」という前提に立つのであればMediaWiki:Lastmodifiedatにその旨記載してもいいのかなと思いつつあります。執筆者の意と反するメッセージが表示されかねない懸念もありますが、人の手でわざわざ貼りに行くのではなくシステム的に強制表示されるものであれば不快感は少ないのではないかと想像します。--かにふとん (トーク) 2022-10-13T08:49:52 (JST)
- 言い方が変わっただけでやっている事自体はスタブと一緒だと思ったため、賛成票を投じさせて頂きました。--ナムコォッ!(トーク/投稿記録) 2022-10-14T18:14:15 (JST)
- 靴下ジャック君のコメントをゴミ箱に隔離しました。しかし、EP:投票権の方針を見ると「無期限ブロック者の投票は無効」という規定が...........ない!? えー、なんか規定がないっぽいので投票は有効かもしれません。情勢は変わらないので、どうでもいいですが。---謎の管理者もどき BadEditor 2022-10-24T21:16:54 (JST)
複数アカウントの不正利用として無期限ブロック済みユーザーのコメント群
- Wikipediaスタブが貼られていることが動機となって「おっ、この記事に加筆してやるか」という気になったことがあるミスター・ジャックです。ただ、そう思って加筆しようとした記事は、大概、自分がサブスタブのテンプレートを貼って初稿を投じ、誰にも加筆してもらえていない記事でした。嗚呼…。
私自身、「スタブ」や「サブスタブ」、「書きかけ」に、大して悪さを感じないクチです。「書きかけ」と記事の文章量の多寡は、定義上の必要要件ではないとも考えます。短くても情報として価値があれば、それは立派な記事ですし、長くても記述が中途半端であれば「書きかけ」でしょう。自分では立派な記事だと思っていても、造詣の深い方々からすれば加筆の余地のある「書きかけ」であることはザラにあります。
誰でも執筆・加筆が出来るというサイトの性質上、全ての記事は「書きかけ」であり、それをいちいち標榜しなくてよろしいというのは、確かにそうですね。特別に加筆を求めたいのであれば「加筆依頼」を使えばいいというのも、ごもっともです。ただ、「加筆依頼」を見たり、加筆依頼を出したりする習慣のない私のような人(私しかいないのか?)にとっては、「書きかけ」のテンプレートは、自分の記事に加筆・訂正を依頼する簡便な方法です。記事に「この項目「●●」は、まだ書きかけです。加筆、訂正などをしてくださる協力者を求めています!」というアピールがあると、誰かがいつか現れて、加筆してくれるのではないか、と思うのですね。さらに、何が何でも加筆してほしい場合には、「加筆依頼」を出しつつ、「書きかけ」のテンプレートを併用すれば、より加筆される確率が高くなるのではないでしょうか?
尤も、廃止すべきという意見の中に、「他人の書いた記事に貼ることもできるが、貼られて不愉快になる人もいる」という意見もありますね。これは「書きかけ」の正しい用法によって不快になった人がいるのか否か、あるいは利用者が「書きかけ」にどういう意味を含ませて利用し、相手を不快にさせたか(あるいは被害を訴える人が、どう意味を読み取ったか)が問題になるのではないかと思います。--ミスター・ジャック (トーク) 2022-10-13T00:32:31 (JST)- 加筆される可能性を排除できない記事は、いかに決定稿のように思えても「書きかけ」であるというスタンスに立てば、全ての記事は「書きかけ」だということ。このことは、先立って申し上げました。付け加えて言うならば、現状の記事の作成中・編集中の画面には、「Enpediaへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (詳細はEnpedia:著作権を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。」と書かれていて、自分が書いたものが他の人に容赦なく編集されることを織り込み済みで、皆さんは記事を執筆したり、編集したりしているわけです。
そういう状況に於いて、敢えて「書きかけ」のテンプレートを貼るメリットは、その記事に出くわした人が、「俺の知っていることが書かれていないし…。よし、俺も加筆してみようかな!」という気になるのではないかということです。(Rest:日記/2022-10-12では「ここ最近は毎日4000人強の閲覧者、1~2万のページビューがあるらしい。」とのことなので、一人くらいは加筆してみようかな…と思う人が出てきてくれればと思います。)
Wikipediaでも、全ての記事は加筆される可能性を排除できない「書きかけ」として存在している筈なのですが、意外と「スタブ」や「サブスタブ」のテンプレートが張られていない記事で加筆すると、加筆前の稿を書いた人が「俺が執筆した原稿が気に入らねぇってのか!?」とばかりに編集しなおし、編集合戦に発展するというケースもありましたね。また、Wikipediaの「スタブ」や「サブスタブ」というワードが含意するものも、発展する可能性のある種のようなポジティヴな意味ではなく、スタブやサブスタブであることが悪であるかのような意味を含むことが少なくないようです。Wikipediaが、こうしたネガティブな意味の延長線上として、記事に「スタブ」や「サブスタブ」を、アーヴィン・ゴッフマン流のスティグマのように貼り、執筆者の自尊心を傷つける道具として、このワードを使用しているのであれば、それは記事潰し、執筆者のメンタル潰しでしかなく、関わる人をうんざりさせるものです。私がWikipediaで活動していた時、自分の執筆する初稿に「サブスタブ」のテンプレートを貼り付けていたのは、一つは自分の書いた記事が完璧な原稿だと思いあがらないようにという、自分への戒めであり、もう一つは、自分の執筆した記事を第三者の目でチェックしてもらい、もっと充実した記事に育ててほしいという願いからでした。なので、私自身は、「スタブ」や「サブスタブ」という言葉に、むしろ記事が育つ可能性を見い出していました。しかし、Wikipedia一般の認識では、「スタブ」や「サブスタブ」といった言葉には、関わる人をうんざりさせるような侮蔑的なものが含意されているようです。
「『スタブではなく書きかけです』というのは、内輪の人間にしか通じない言葉遊びであり、パット見の印象はスタブ以外の何物でもない。」というBadEditor氏の指摘には、こうした、Wikipediaにおける「スタブ」という言葉にこびりついた、関わる人をうんざりさせるような侮蔑的な含意が前提にあると考えられます。Enpediaは、Wikipediaに於ける悪しき意味を含意する「スタブ」と決別し「書きかけ」というワードを編み出したのですから、それをわざわざ「スタブ」の亡霊と結び付けて破壊するのはもったいない、と感じています。つまり、言葉遊びではなく「スタブではなく書きかけです」と毅然と言う手立てが議論されれば、Enpediaの独自性を、より深く打ち出せるのではないか、と考える次第です。「書きかけ」には、人をうんざりさせるような悪い意味をこびりつかせるべきではありません。
では、どうやったら、悪い意味をこびりつかせずに「書きかけ」を使えるかを考えてみたいと思います。
そもそも「書きかけ」なんてものがなければ、面倒事とおさらばできるというのは、一つの案としては有効ですが、「ハサミは道具だが、凶器にもなる。そんな危ないものは無くしてしまえ。」みたいなレトリックに思えて、釈然としないところがあります。また、包摂主義的観点から、有効利用の道はないものか、と考えてしまいます。
浅学非才な私では妙案が思い浮かばないのですが、一つは、「この項目「●●」は、まだ書きかけです。加筆、訂正などをしてくださる協力者を求めています!」という文言がWikipediaっぽいので、別の言い回しに変えてみる(ついでにデザインも一新する?)というのは手かと。この文言について、コンペでも開いて妙案を募るのも良いのではないかと。もう一つは、使用制限をかけるというのも有効かと考えます。「他人の書いた記事に貼ることもできるが、貼られて不愉快になる人もいる」ということであれば、自分で貼る分には不愉快にはなりません。記事を執筆した本人は、記事を読む人に加筆・訂正の協力を求めるという意図で「書きかけ」を掲示しても良い、ということが出来ると思います。また、「加筆依頼」でリストアップされている記事については、誰でも「書きかけ」を掲示しても(しなくても)良いのではないでしょうか。この場合、記事を執筆した本人が「加筆依頼」には載せたけれども「書きかけ」の掲示はしなくてもいいと判断した場合には、他の人がつけた「書きかけ」を取り外してよく、その掲示と取り外しで編集合戦にならないようにできるといいですね。こうした使用ルールを緩く定めれば、「加筆依頼」にも記載がなく、記事を執筆した本人が「書きかけ」を掲示していない記事に、他人がやたらと「書きかけ」を掲示して回るのは「ダメ!」と言えるようになると思います。
以上、トップページで、この件に対する投票のことを知り、自分の立場として包摂主義を掲げていることと、「書きかけ」のテンプレートを自分の執筆記事で愛用していることから、長々と私見を述べさせていただきました。--ミスター・ジャック (トーク) 2022-10-13T23:38:59 (JST)- コメント有難うございます。色んな意見があっていいと思っているので(だからこそ投票を実施しているので)、熱意あふれるコメントを頂けて有り難い限りです。また、私のコメントで不愉快に感じる点があったならば申し訳ありません。
その上で返答いたしますが、記事を書いた本人が {{書きかけ}} を貼るぶんには問題ないだろう、という方向で「使用ルールを緩く定め」るのは難しいように思います。初版の投稿者とメイン投稿者(投稿した分量が多い人)が異なる場合、どちらに {{書きかけ}} を貼る権利があるのか。複数人が同じぐらい編集していた場合、誰に権利があるのか。....面倒なケースは色々と想定できます。誰かが {{書きかけ}} を貼ったときに、それが適切な貼付なのかチェックするのも手間ですし、わざわざトークページで話し合って {{書きかけ}} を貼るか貼らないかを決めるのも、大仰すぎる気がします。そもそも {{書きかけ}} の貼り方のためだけに、新たなルールを作るというのがエンペディアらしくないように感じます。ほとんどのライトな編集者は、そんな細かすぎるローカルルールを覚えられないように思えます。---謎の管理者もどき BadEditor 2022-10-14T00:09:10 (JST)- お返事ありがとうございます。私としては、熱意というよりは、包摂主義に基づいてこの件を考えてコメントを試みているってところですかね。私自身、この「書きかけ」を最初から埋め込んでそこそこの記事を作ってしまっているというのもあるのですが。2万以上の記事に影響するテンプレートなので、慎重に考えたほうがいいのではないかという気もあります。
BadEditorさんの返答に対して、何か反応したほうが、議論が深まるかもしれないので、とりあえず所感をば。
自分で提示した案を読み返しながら色々調べてみると、「書きかけもどき」というのが既にあるのですね。「書きかけ」だと、言い回しにWikipediaっぽさを微かに感じてしまうので、今後「書きかけもどき」を使うのも手なのかも…。うーん。むしろ「オネェ版書きかけ」とか「酔っ払い版書きかけ」とか「車内アナウンス版書きかけ」とか「ママンに叱られちゃった版書きかけ」とか「パパンにパソコンを粉砕された版書きかけ」とか、無駄なくらい「書きかけもどき」バリエーションを作って、自由につけまくって遊ぶのもありなのかもしれません。Wikipediaでそんなことやったら、他の利用者から怒られますし、そんな遊興的テンプレートはすぐに削除されてしまうでしょうけれど。
初稿執筆者に「書きかけ」のテンプレートを貼り付ける権利を与えるみたいなのは、今読むと、Yourpediaの先編集権っぽいので考え直す必要がありますね。初稿執筆者が不在の時には、確かに誰が「書きかけ」を掲示で揉めることもありましょうが、実際は別に誰が掲示したり外したりしてもいいんじゃないのか、とも思います。
わざわざトークページで話し合って「書きかけ」を掲示するかどうかを話し合うという場面があるとして、私はそれを大仰ではないと思っています。というのも、「書きかけ」を掲示したい人にはそれを掲示したいと思う相応の理由や思いがあるわけで、それをしっかり話してもらえば、どのように加筆したいのか、その方向性が見えてきます。場合によっては、「そこを加筆をするのであれば、あそこも加筆したほうがいいね。」という、より磨きのかかった加筆が出来るかもしれません。話し合いの参加者で協同することもあるでしょう。まぁ、こういう合意形成のための話し合いをする執筆者は、ライトな執筆者じゃないかもしれませんが…。
「書きかけ」を貼ったり剥がしたりのみで何度も編集を繰り返すのは、不毛な編集合戦という扱いで十分抑止できると考えます。また、「書きかけ」は、本来記事をよりよくするためのツールなはず(少なくとも記事の文章量の少なさ等を嘲笑うものではないはず)なので、「書きかけ」は、少しでもいいから、記事の改善を企図した執筆・加筆・推敲(あるいは校正?)とセットで使うよう執筆者各位の良識で自戒すれば良かろう、と思います。
ローカル・ルールを作るとすれば、せいぜい、「すべての記事は書きかけである」という理由のみで、このテンプレートを貼り歩くべからず、という程度で、十分現行のルールで対処可能なのではないかと思います。
以下は、列記された廃止に賛成の理由を眺めながら、考えたことです。必ずしも列記された順番に沿っているわけではありません。
「他人の書いた記事に貼ることもできるが、貼られて不愉快になる人もいる」ということに関しては、極めてドライに捉えると、考慮に値しない、と言えます。「自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。」とサイトに記載があり、他人が自分の書いた記事に容赦なく貼るということも、「自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され」ることに含まれるからです。そのような編集をされていちいち不愉快になるということは、容赦なく編集されることを望まないということなので、「ここに投稿しないでください。」ということになろうかと思います。なので、執筆者が不愉快になるということ自体は、「廃止すべし!」という理由としては不適当だと考えます。「君は、君の書いた記事がグッチャグチャにされたら、不愉快ではないのか?」と言われれば、確かに不愉快でないわけではないのですけれど、「不愉快だから罰を!」だと感情的な報復行為になってしまいます。そのグッチャグチャの度合いによって、その項目について情報を得たいという人が手にすべき情報を破壊したという理由でなら、そのサイトのルールに即して、ルール違反だと異議を唱える(かどうかは、私はヘタレなのでわからない)でしょう。こうした見方に立つと、「書きかけ」が、コンテンツの何を破壊するのかが明らかにされる必要があります。「書きかけ」は、そのテンプレートの文面からして、コンテンツとして未完成であることを示唆こそすれ、その未完成性は書かれていることを貶めるものではありません。
「ニコニコ大百科やピクシブ百科事典に『スタブ/書きかけ』という概念は無い」かどうかについては、調べてみたところ、その概念が全く無いわけではないようです。[1][2]ただ、私の加筆できそうな記事に運悪く出会えませんでした。私自身、あまり足繁く通う所ではないので、勝手がわからなさ過ぎて、おいそれといじるのは怖いというのもありますが。誰でも執筆・編集が可能な知識の集積所のようなところでは、執筆者と執筆の題材によっては、自分で収集できる執筆のための資料等や執筆能力(?)には限界があって、協力者を仰がないと書き切れない…というのは、よくあることなんだろうと思います。--ミスター・ジャック (トーク) 2022-10-15T01:18:11 (JST)
- お返事ありがとうございます。私としては、熱意というよりは、包摂主義に基づいてこの件を考えてコメントを試みているってところですかね。私自身、この「書きかけ」を最初から埋め込んでそこそこの記事を作ってしまっているというのもあるのですが。2万以上の記事に影響するテンプレートなので、慎重に考えたほうがいいのではないかという気もあります。
- 廃止派の「書きかけ」を廃止する理由として、「ふらっと Enpedia を訪れた閲覧者が『あっ、ここって Wikipedia と似た感じで運営されてるサイトなのね』と勘違いする」云々という件について、私見を述べさせていただきます。
先立って「ニコニコ大百科やピクシブ百科事典に『スタブ/書きかけ』という概念は無い」かどうかについて調べたところ、そのような概念はないわけではないことがわかりました。誰でも執筆・編集が可能なところでは、「スタブ/書きかけ」は、どこでも発生しうるものです。どこでも発生しうるものをを指さして「Wikipedia と似た感じで運営されてるサイトなのね」と勘違いされたところで、Enpediaの特性が失われるわけではありません。「書きかけ」の機能は、その記事を見た人に加筆、訂正などをしてくださる協力者を求める働きがあるので、そうした呼びかけ自体に「Wikipedia と似た感じで運営されてるサイトなのね」と感じるのであれば、それは「Wikipediaと同じウィキサイトなのね」という事実を知ったというだけであり、それは勘違いではありません。これを「勘違い」と見做す人々は、Enpediaもウィキサイトであるという事実の確認にWikipediaという言葉が使われることに苛立ちを感じているということであって、それは、その人々がWikipediaにネガティヴな感情を持っている、と言う程のことでしかありません。ウィキサイトであれば、執筆者が行き詰まって、記事を「書きかけ」にし、他人の協力を仰ぐというのは、不自然なことではありません。なので、「書きかけ」を廃止することが独自色を強める方策になるかどうか疑問です。
ウィキサイトで百科事典のようなものを作るというプロジェクトは、Enpedia発祥ではなく、少なくともWikipediaのほうが先発なので、後発のEnpediaが「Wikipedia と似た感じで運営されてるサイトなのね」と、取りすがりの人に思われてしまうのは、致し方ないところがあります。執筆・編集する記事について、半保護だの保護だのがされることがあるから両者は似ているという人もいるでしょう。管理者が存在するとか、執筆者に有・無期限のブロックが課されることもあるとかということも、「両者の役割や意味合いなどに多少の違いはあるにせよ」という言葉を繋げながら、「Wikipedia と似た感じで運営されてるサイトなのね」と判断する人は、どこかにはいるものですね。で、類似サイトと見做されることは、果たして「損失」なのか、ということです。EnpediaがWikipediaの類似サイトと見做されることでコンテンツが減少しているわけでもなく、「Enpediaは潰しべし!」というキャンペーンが行われているわけでもありません。類似サイトと見做されることで、ここで活動してくれる新しい仲間が来ないのは、「損失」ではなく、「損失」だと思っている人たちが新しい仲間がわんさと増えるのを期待したのに、期待ほど集まらないとか何とかで、面白くないってだけではないかと。ふらっと来た人が「Wikipediaの類似サイトと見做される」ことでEnpediaを見限るのであれば、御縁がなかったという程の事です。
「独自色を出したほうがよい」ということに関して、「書きかけ」の廃止が独自色を出す有効打になるかどうか、と疑義を呈しましたが、そもそもEnpediaに独自色―これは独自性ないしオリジナリティと言い換えられるでしょう―は出ていないのか、ということも検討しておきたい点です。「百科事典もどき」が百科事典であることを目指し、百科事典としてとしての独自性を打ち出すのであれば、一つは他の事典と違う編纂の方針を打ち出せばよいということになります。エンペディアの公式な方針には、その編纂の方針に当たるエンペディアにおける編集方針・概要が示されているので、それを先発の競合するウィキサイトの事典の方針と突き合わせて、どの事典とも違う方針が打ち出せていれば、それだけで「独自色を出したほうがよい」という目標は達成できていると言えます。「噂や推測の域を出ない事柄についても、有用性があれば掲載することが可能です。備忘録にも使うことができます。」という執筆内容に対する寛容さは、それだけで十分独自性を出せている、と私は思います。
「特別に加筆を求めたいなら「Enpedia:加筆依頼」を利用すればよい。」という件に関しても、少し考察してみたいと思います。
「加筆依頼」については、テンプレート:加筆依頼またはテンプレート:加筆依頼一部を加筆依頼に出すページに掲示しつつ、「加筆依頼」のページの編集で一覧に加筆してほしい項目を書き加えるという2段階の手順を踏む必要があるようです。なるほど、「加筆依頼」に依頼を出された記事には「書きかけ」ではなく、「加筆依頼」で宛がわれたテンプレートを使用しなければいけないということがわかりました。また、「それなりの加筆が施されたものについてはこの一覧から削除」するという決まりもあるようです。「それなりの加筆」がどの程度の加筆なのかが判然としないという点では、「どこまで加筆すれば『書きかけ』でないのか、基準が曖昧。」という「書きかけ」の問題点と共通しています。私としては、同じ問題があるなら、手続きの簡便な「書きかけ」のほうが魅力的ですね。
「加筆依頼」に内包する問題点としては、それが「依頼」である以上、加筆した人が勝手に「それなりの加筆の要件を満たした」として「加筆依頼」の一覧から勝手に削除していいのかという問題があります。普通、クライアントが依頼を出した案件は、ホストの仕事についてクライアントが曲がりなりにも評価する必要があります。そういう理解に沿えば、クライアントは依頼を出した件について、依頼に沿って満足のいく「それなりの加筆」が為されているかどうかをウォッチリストに入れて監視し続ける必要があることになります。尤も、実際には、依頼を出すだけ出して、あとは野となれ山となれというケースもあるのでしょうけれど。
「加筆依頼」のリストを見ると、実質執筆依頼と変わらない丸投げな加筆依頼も散見されます。「特別に加筆を求めたい」と言っておけば、何でも「加筆依頼」に出せますね。また、加筆依頼は、殺到すると、一覧に記載される数が増え、何が加筆依頼に出されているのかを把握しにくくなる点もデメリットではないかと思います。わざわざ煩雑な一覧から特定の依頼を探し出して加筆に行くという人は、ものすごく熱心な人ですね。まぁ、「加筆依頼」を乱発するような人は、現状はいないでしょうが、これから先出てこないとは限りません。そして、もしそういう人が出てきたとき、対応が後手に回ると、後処理が大変にならないでしょうか?
こうしたことを踏まえると、「加筆依頼」は、具体的に加筆してほしい節や内容(自分は参照できる資料を持っていないので資料をお持ちの方にお願いしたい…みたいなこと)を指定できる、あるいは加筆すべき項目に熟知した専門家に加筆を依頼したいという場合などが「特別に加筆を求めたい」場合として「加筆依頼」を有効に使えるのではないかと思います。依頼内容の具体的なプランが特になく、とりあえず何でもいいので記事を膨らませてほしいとか、依頼に出すほど高度な加筆にこだわらない場合は、任意で「書きかけ」を掲示して、不特定多数の協力者を募ればいいのでしょうね。「加筆依頼」に出すか「書きかけ」で済ますかを数値的に判断するのであれば、バイト数にして5桁あれば「加筆依頼」を推奨(加筆のクオリティにこだわりがなければ「書きかけ」扱いでも可)し、3桁程度で「書きかけ」を推奨(「特別に加筆を求めたい」場合には)する、という風にすれば、「書きかけ」と「加筆依頼」を両方有効活用できますね。
このように、未だ「書きかけ」の有効活用の方途は残されている、という点からも、廃止には、賛成できかねます。--ミスター・ジャック (トーク) 2022-10-19T23:13:10 (JST)文章を微修正。--ミスター・ジャック (トーク) 2022-10-21T01:29:57 (JST)- 既に議論をする期間は終わっていて、廃止すべき方向で話がまとまっているのに、ダラダラと無駄に長い長文で話を混ぜ返そうとするのか、常識を疑う。廃止に反対する貴殿は「もしかしてWikipediaの人と同一人物ですか?」と第三者から指摘されるように、Enpediaにふらっと来た人に「ここはWikipediaと似た感じで運営されてるサイトなのね」と勘違いさせるような投稿を繰り返している。そうでなければ「もしかしてWikipediaの人と同一人物ですか?」と第三者から指摘されることはないはずだ。廃止すべき理由で指摘されている大きな損失を生むような記事の投稿を繰り返しながら、大きな損失を生むことを危惧されているテンプレートの継続を主張するのは、反エンペディア的だ。--耗浩然 (トーク) 2022-10-20T18:02:35 (JST)
- 「耗浩然」氏は、過去にも攻撃的な発言が問題視されていたユーザーです。1週間の投稿ブロックをかけました。◆投票期間中に自分の意見を述べて頂くこと自体は、別に問題ありません。あとは、それを読んだ他のユーザーが、同調して投票を変えるか、変えないか。ただそれだけのシンプルな話です。---謎の管理者もどき BadEditor 2022-10-20T18:14:11 (JST)
- どうも、反応ありがとうございます。ダラダラと無駄に長い長文になるのは、ざっくり言えば、一つは、短文で端的に書くとどうしても語気が強いように読み手に感じられるリスクがあるから。もう一つは、私の文才の欠如ですね。
とりあえず、私の主張は、ざっくり言うと、以下の通りです。思い付きで継ぎ足したものもあります。
■このサイトに記事を投稿・編集する人は、自分の投稿が他人から容赦なく手を加えられることを織り込み済みで投稿している筈なので、「書きかけ」が掲示された程度のことは、不快だと騒ぐほどのことではない。記事を補強するか、撤退するかすればよい。
■「Enpedia の『書きかけ』は、Wikipedia から何となく持ってきたものを惰性で使い続けているだけ」であることの何が問題なのかが議論されていない。何が問題であるのかが分からない以上、廃止すべき理由にはならない。
■「ふらっと Enpedia を訪れた閲覧者が『あっ、ここって Wikipedia と似た感じで運営されてるサイトなのね」と勘違いする」ことは、本当に勘違いなのだろうか。そしてどこが「損失」なのだろうか。オンラインで百科事典的記述を閲覧できること自体を「Wikipediaと似た感じで運営している」と言っているだけかもしれない。これを「書きかけ」の廃止の理由にするのは不自然だ。
■「どこまで加筆すれば『書きかけ』でないのか、基準が曖昧」なのは、代用できるとされる「加筆依頼」も同じ。その曖昧さゆえに、すべての記事に「書きかけ」を貼って回ることも出来れば「加筆依頼」へ掲載する手続きをして回ることも出来る。そしてそういったことをすることの何が問題かは明らかではない。
■加筆を求めたいなら「加筆依頼」を利用してもよいが、加筆依頼リストに依頼ページと依頼内容を掲載して、依頼ページに「加筆依頼」で指定されたテンプレートを貼るという二段階の手間が必要だ。「書きかけ」はその手間が省けるというメリットがある。
■「興味のある分野の記事なら、スタブがあろうがなかろうが勝手に加筆」するというスタンスであれば、確かに「書きかけ」は必要ないが、「加筆依頼」も要らないだろう。「書きかけ」のみを廃止にする意図はどこにあるのか。なお、不要であるという理由での廃止の提案は、包摂主義者にとっては「だったら残していても問題ないんじゃない?」ということになる。
■記事の文章量が少ないことが「書きかけ」の貼られる理由だと決められているわけではない。文章量の多い記事でも、投稿者がまだ書く気満々だとか、途中で「寝てしまった」とか、修正加筆の必要を感じる人がいるとかの理由で「書きかけ」であることもあろう。これのどこが書きかけなのかを精査する契機となり得る点からも、「書きかけ」の存在するメリットはある。
■手抜きでレポートを仕上げたい人がここの記事をコピー&ペーストしてレポートを提出した際、採点者がそのコピー&ペーストを問題視するならば、そのダメ出しのバリエーションとして、コピー&ペーストした元の記事が「書きかけ」であることを理由に「未完成品を持ってくるとは!」とか「情報として未確定要素の多い情報源を丸パクリしましたね?」とかと理由をつけることができる。
■「過去の議論を知らずに「カテゴリを作ろう」という話を蒸し返す人が、今後も何度でも現れる」のであれば、その現れる回数分突き返すか、画期的な解決策を公募すればよい。
ざっとこれくらいでしょうか。
廃止の議論がなされていることを知らず、投票フェーズに入っていることをメインページで知ったので、こうしたところで、存続派(私しかいないみたいですが…)としての意見を書かせて頂き、BadEditorさんからも問題ない旨のお言葉を頂きました。
私がこうしたところで発言させて頂いている主な理由は、先立ってのコメントで説明しましたが、もう一つあるとすれば、議論の進め方でしょうか。このフォーラムの題目は「書きかけのカテゴリについて」ですが、実際に話し合われているのは「書きかけ」の廃止についてです。この話し合いの進め方は、「年金受給者の実数把握について」話し合う場で「年金廃止でよくないすか?」と発言して、そのままなし崩し的に年金廃止を決めちゃっている感じなんですね。まぁ、実際に決めているのは「年金」じゃなくて「書きかけ」なので、社会問題になるわけではありませんが…。二万件以上の記事が影響を受ける事案ともなると、対立する考え方をそれなりに出して、弁証法的に議論を深めて欲しいところではあります。あまり頭のよろしくない私でも、「廃止派」に対抗する意見として、これだけ書けるので、皆さんであれば、もっと議論できたであろうと思います。
あと危惧することは、多数決が多数派の専制に終わってしまうのではないかということですね。中学校や高等学校の公民科で多数決を教わるときは「少数派の尊重」についても学ぶはずです。尤も、私の意見が尊重するに足る少数派の意見たり得るかはわかりませんが。
耗浩然さんの私の投稿のご指摘について、見た人が意図的にWikipediaと勘違いされるように私が書いていると、耗浩然さんは思っておられる、と理解しました。私の場合、記事の書式は、音楽之友社の『新編音楽辞典』を範としています。私が主に手掛けるのは音楽家の記事なので、記事の書き出しではその人の名前と、海外の人であれば、その人の国籍に応じた綴り、生没年月日と職業といった基礎情報を書くことになります。この基礎情報が一番大事なので、書き出しの人名を一番目につきやすい太字表記にすることで、目を引けるように考えています。なので、盲目的にWikipediaの書式をトレースしているのではなく、私なりの様式追及の結果として、現在の形に落ち着いています。引用文献については、Enpediaでは任意になっているので、任意でつけさせていただいています。表示している文献を読みこなすだけでも、加筆は十分出来る筈なので、記事の編集数を稼ぎたいという人は挑戦してみてはいかがでしょうか。--ミスター・ジャック (トーク) 2022-10-21T01:29:57 (JST)
- 既に議論をする期間は終わっていて、廃止すべき方向で話がまとまっているのに、ダラダラと無駄に長い長文で話を混ぜ返そうとするのか、常識を疑う。廃止に反対する貴殿は「もしかしてWikipediaの人と同一人物ですか?」と第三者から指摘されるように、Enpediaにふらっと来た人に「ここはWikipediaと似た感じで運営されてるサイトなのね」と勘違いさせるような投稿を繰り返している。そうでなければ「もしかしてWikipediaの人と同一人物ですか?」と第三者から指摘されることはないはずだ。廃止すべき理由で指摘されている大きな損失を生むような記事の投稿を繰り返しながら、大きな損失を生むことを危惧されているテンプレートの継続を主張するのは、反エンペディア的だ。--耗浩然 (トーク) 2022-10-20T18:02:35 (JST)
- 「書きかけ」の代替として、廃止理由で触れられていたEnpedia:加筆依頼について、私が「加筆依頼」へたどり着く道は、このフォーラムのページから以外知らない(そもそもそういうのがあること自体知らなかった)のですが、ブックマークをしておくのが常識なのでしょうか。「加筆依頼」のリストもたくさんあって、自分のお目当ての依頼を見つける前にモチベーションが下がってしまいます。色々巡ってたどり着いた先で「書きかけ」を見つけた方が、加筆のモチベーションは削がれないですね。今般、その「加筆依頼」のリストが急激に増加して騒ぎになっているようですが、リストが増えれば増えるほど、お目当ての依頼にたどり着くのが難儀になります。「加筆依頼」が「書きかけ」の代替に本当になるのか、考えるべきかもしれません。(「加筆依頼」も「書きかけ」も要らないという話も出ているようですが…。)--ミスター・ジャック (トーク) 2022-10-24T18:56:28 (JST)
- コメント有難うございます。色んな意見があっていいと思っているので(だからこそ投票を実施しているので)、熱意あふれるコメントを頂けて有り難い限りです。また、私のコメントで不愉快に感じる点があったならば申し訳ありません。
- 加筆される可能性を排除できない記事は、いかに決定稿のように思えても「書きかけ」であるというスタンスに立てば、全ての記事は「書きかけ」だということ。このことは、先立って申し上げました。付け加えて言うならば、現状の記事の作成中・編集中の画面には、「Enpediaへの投稿はすべて、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 (詳細はEnpedia:著作権を参照)のもとで公開したと見なされることにご注意ください。 自分が書いたものが他の人に容赦なく編集され、自由に配布されるのを望まない場合は、ここに投稿しないでください。」と書かれていて、自分が書いたものが他の人に容赦なく編集されることを織り込み済みで、皆さんは記事を執筆したり、編集したりしているわけです。