潮田光
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潮田 光(うしおだ みつ、明治12年(1879年)3月27日 - 明治40年(1907年)5月4日)は、明治時代の女性。福澤諭吉の5女。旧名は福澤 光(ふくざわ みつ)。
略歴[編集]
福澤諭吉の5女で、慶應義塾の教師であるマリエ・ヴォン・ファーロットから英語やピアノの指導を受ける。明治29年(1896年)に芝浦製作所の技師である潮田伝五郎と結婚した。なお、伝五郎の母親は廃娼運動などで知られる日本基督教婦人矯風会の第2代会頭、足尾銅山の鉱毒地救済婦人会の会長を務めた潮田千勢子である[1]。
光は潮田との間に2男1女(潮田勢吉・潮田濤・潮田江次)の子宝に恵まれたが、明治40年(1907年)5月4日に死去した。28歳の若さであった[1]。
諭吉の子女の中では若死にしているが、阪急電鉄の創始者・小林一三によると「優さ形のおとなしい、しとやかなお嬢さん」と評価されており、慶應義塾の学生の中でも憧れの美女だったという。残されている写真でも美女の風貌が窺い知れる。
次男の江次は昭和22年(1947年)から昭和31年(1956年)まで慶應義塾長を務めている[1]。