滕 冑(とう ちゅう、生没年不詳)は、中国の後漢末期の政治家。兄に滕耽。子に滕胤。同族に滕牧・滕芳蘭[1]。
青州北海国劇県の出身[1]。後漢末の戦乱を避け、同郷で姻戚関係があった劉繇の下へ身を寄せた[1]。孫権に仕えるが、滕胤が12歳の時に死去したという[2]。孫権からは賓客として礼遇され、滕冑は文章に優れて国政や軍事に関する文章の作成に関与したという[1]。