湯浅宗重
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湯浅 宗重(ゆあさ むねしげ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。紀伊国湯浅城(現・和歌山県有田郡湯浅町青木)主。
生涯[編集]
父は藤原宗良。平治の乱の際、熊野詣の途上にあった平清盛を助けて上洛し、以後は伊勢平氏の家人統制において重要な役割を与えられた[1]。
しかし平清盛が死去して平氏が急速に衰退すると、平重盛の遺児である忠房を庇護したものの、文覚の仲介を受けて源頼朝に降っている。後に頼朝と義経が争った際には、義経に協力しなかったことを評価されて文治2年(1186年)に所領安堵され、在京奉公を許された[1]。
宗重の4女は重盛の家臣・平重国に嫁いで明恵を生んだことで知られている[1]。
系譜[編集]
- 父:藤原宗永
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 養子: