渡辺 渡(わたなべ わたる、安政4年(1857年) - 大正8年(1919年)6月9日)は、明治時代から大正時代にかけての大学教授・冶金学者。
肥前(現在の長崎県)で生まれる[1]。明治12年(1879年)に東京大学理工学部を卒業し、明治15年(1882年)にドイツに留学し、帰国すると工科大学教授、佐渡鉱山局長を歴任し、明治35年(1902年)に工科大学長にまで昇進するが、大正7年(1918年)に辞任した[1]。
辞任した年の11月に食道癌に倒れ、療養に努めるも翌年の6月8日には危篤となり、その翌日の午前10時に死去した[1]。享年63[1]。