清泉女子大学

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清泉女子大学 旧島津公爵邸
清泉女子大学の門

清泉女子大学(せいせんじょしだいがく、英:Seisen University)は東京都品川区東五反田に本部がある私立大学である。通称は「清泉(せいせん)」。

概要[編集]

建学の精神は、キリスト教ヒューマニズムで「まことの知・まことの愛(VERITAS et CARITAS)」の追究をモットーとする。建学の精神に基づき、少人数教育を行う。自分で考え、判断し、決断することのできる女性を育成する。1学部5学科、大学院の1研究科4専攻がある。

歴史[編集]

聖心侍女修道会1934年、3名の修道女を来日させた。1935年4月、東京市麻布区三河台(現東京都港区)に高等女学校卒業者を対象とする「清泉寮」を開設した。1938年、2年制の専門課程の文科、家政科、選科で、各科定員60名の女子高等教育機関となった。1944年、戦争のため休校となり、1945年には空襲により「清泉寮」校舎は全焼した。

1950年、学制改革に伴う学校教育法制定に従い、神奈川県横須賀市に国文学科、英文学科よりなる文学部単科4年制女子大学として清泉女子大学を設立した。1961年 スペイン語スペイン文学科を設置した。1962年 東京都品川区の現在地に校舎を移転した。1989年、神奈川県川崎市に宮前平キャンパスを開設した。

基本事項[編集]

  • 名称:清泉女子大学
  • 創立者:ラファエラ・マリアとその姉ドロレス
  • 創立年:1950年
  • 建学の精神:キリスト教ヒューマニズム
  • 所在地:東京都品川区東五反田三丁目16番21号
  • 交通:JR山手線 五反田駅 徒歩10分。
  • 校旗:
  • 教育理念:「まことの知・まことの愛」
  • 校章:SEISEN-の頭文字「S」字型にあしらった百合の花
  • 学生数:学部 1,887名、大学院 博士前期 14名、博士後期 5名

キャンパス[編集]

  • 品川キャンパス
    • 東京都品川区東五反田三丁目16番21号

学部[編集]

  • 文学部
    • スペイン語スペイン文学科
    • 英語英文学科
    • 地球市民学科
    • 文化史学科
    • 日本語日本文学科

付属研究所[編集]

  • 人文科学研究所
  • キリスト教文化研究所
  • 言語教育研究所

島津山[編集]

清泉女子大学キャンパスは旧薩摩藩主・島津家の本邸があった場所で、この高台になっている一帯は「島津山」と呼ばれていた。仙台藩主・伊達家の江戸下屋敷があった江戸時代からツツジの名所であった。1873年に島津家の所有となり、伊達藩時代の木造家屋がそのまま引き継がれ、1884年、島津家第29代当主の島津忠義が公爵を受け、「島津公爵邸」となった。最盛期には200人を超える使用人がいたといわれる3万坪の広大な敷地であったが、昭和初期の金融恐慌のあおりを受け、1929年、島津家は8,000坪を残して周辺部を売却し、さらに第二次大戦により大邸宅の維持が困難となった1944年、建物は日本銀行に売却された。その後、1946年1月にGHQの管理下に入り、駐留軍の将校宿舎として1954年まで使用された。1961年7月、清泉女子大学は日本銀行から土地と建物を購入した。

通常は建物・庭園ともに非公開であるが、年に2期(春・秋)申込制で邸宅見学ツアーが開催される。一般公開日は4月後半の「ガーデンパーティー」と秋に行われる「清泉祭」の年2回である。

旧島津公爵邸[編集]

  • 旧島津公爵邸 - 重要文化財
    • 大正時代、島津忠重の邸宅として、建築家ジョサイア・コンドルにより設計され、1917年に完成したイタリア・ルネサンス様式の洋館である。1917年、5月に大正天皇、皇后が行幸啓し、当時の寺内首相、松方正義、牧野伸顯、山本権兵衛、東郷平八郎、樺山資紀等の政府高官等が多数参列した。「旧島津公爵家袖ヶ崎本邸洋館(清泉女子大学本館)」として東京都指定有形文化財となっていた。2019年10月18日(金)付けで、文部科学省文化審議会より文部科学大臣に答申され、「旧島津家本邸 本館及び事務所」として国の重要文化財に指定されることになった。2019年12月中旬以降、正式に指定される[1]

卒業生[編集]

参考文献[編集]