清岩院
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青岩院(せいがんいん、? - 永禄10年5月7日[1](1568年6月13日))は、戦国時代の女性。越後の戦国大名である長尾為景の正室。長尾晴景、仙桃院、上杉謙信らの生母。上杉景勝の祖母。名は虎(とら)で、虎御前(とらごぜん)と称された。
生涯[編集]
父は越後栖吉城(現在の長岡市)主の長尾顕吉[2]。長尾為景の正室として嫁ぎ、その間に晴景、仙桃院、謙信らを生んだ[3]。虎御前は信仰心が厚く、観音信仰を心のよりどころにした[3]。また幼い頃の謙信こと虎千代が為景に疎まれているのを見て7歳の時に林泉寺の天室光育の下に預けた[3]。為景が亡くなると落飾して清岩院と号する[3]。この時、4人の侍女と庵を結んで俗世から離れた[3]。
しかし為景の跡を継いだ晴景は武将の器に欠けており、越後で騒動が起こり遂には晴景と景虎と名乗った謙信との間で家督争いまで起こり、越後は混乱した。景虎が新国主になるが妻帯しなかったため、やむなく俗世に戻り奥向きのことなどを担当して景虎を支えた。永禄10年(1567年)5月7日に死去[1]。
法号は清岩院殿天甫輝清大姉(『上杉家御年譜』)。
彼女の葬儀は林泉寺で営まれたが、その葬儀で謙信はかなり悲嘆したことが『上杉家御年譜』では記録されている。