深澤弘
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深澤 弘(ふかさわ ひろし[1]、1936年〈昭和11年〉1月2日[1] - 2021年〈令和3年〉9月8日[1][2])は、日本のアナウンサー(東北放送→ニッポン放送→フリーアナウンサー)[1][2]、スポーツコメンテーター。ニッポン放送を退職後はディレクTV取締役、新潟県民エフエム放送(FM PORT)東京支社長[3]、音響芸術専門学校講師を務めた[4]。神奈川県川崎市出身[1]。姓は深沢とも書かれる。
略歴[編集]
早稲田大学卒業後、1958年(昭和33年)4月、東北放送に入社[3][4]。1964年(昭和39年)6月に東京オリンピックの際にスポーツアナウンサーを探していたニッポン放送に誘われて移籍する[3][4]。プロ野球中継ショウアップナイターや競馬の実況を担当[1][2]。1974年(昭和49年)10月に長嶋茂雄の引退試合の実況を担当したことで著名である[1][2][5]。「ミスターショウアップナイター」、ナイター中継の「レジェンド」の愛称で親しまれた[2][5]。
腎臓と心臓を患い療養生活の末、2021年(令和3年)9月8日午後、神奈川県の自宅で死去。85歳没[1][2][6][7]。
出演番組[編集]
- 中央競馬
- ボクシング
- プロ野球中継
- ダイエットマスターへの道(ショウアップナイターレジェンド内)
- SUNDAY SPORTS BAR(FM PORT日16時 - 17時30分)
- アルビレックス新潟(Jリーグ)、新潟アルビレックスBB(Bリーグ)の試合中継番組で実況を担当(FM PORT)
出演作品[編集]
ゲーム[編集]
主な実況歴[編集]
- 阪神4歳牝馬特別(1981年)
著書[編集]
- 『わが友長嶋茂雄』シリーズ 徳間書店
- 『わが友長嶋茂雄 かく語りき』徳間文庫:ISBN 978-4-198-90585-9
- 『背番号「3」甦る栄光 わが友長嶋茂雄』2000年、ISBN 978-4-198-61242-9
- ニッポン放送 編『ショウアップナイター50年 プロ野球感動名場面完全読本』ベースボール・マガジン社、2016年、ISBN 978-4-583-11069-1 - 名場面実況の解説 深澤へのインタビューも
脚注[編集]
- ↑ a b c d e f g h “元ニッポン放送アナ深澤弘さん死去「野球中継の神様」長嶋氏引退試合も実況”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年9月8日) 2021年9月11日閲覧。
- ↑ a b c d e f “「ミスターショウアップナイター」深澤弘アナ死去、85歳 長嶋茂雄氏「本当にショック」”. デイリースポーツ (デイリースポーツ). (2021年9月8日) 2021年9月11日閲覧。
- ↑ a b c “元ニッポン放送アナウンサーの深沢弘さん死去 85歳 長嶋茂雄氏が追悼「取材者と選手を超えた親友」”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2021年9月8日) 2021年9月11日閲覧。
- ↑ a b c d “深澤 弘”. 講演・セミナー、講師・司会の紹介・派遣はオフィスR&M;へ. オフィスR&M. 2021年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月11日確認。
- ↑ a b “元ニッポン放送アナ・深澤弘さん死去、85歳 ショウアップナイター名実況 親友のミスター「本当にショック」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2021年9月8日) 2021年9月11日閲覧。
- ↑ “【訃報】野球中継の名物アナ、深澤弘さん逝く”. テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト (テレビ朝日). (2021年9月8日). オリジナルの2021年9月9日時点によるアーカイブ。 2021年9月11日閲覧。
- ↑ “元ニッポン放送・深沢弘アナ死去 「ミスター・ショウアップナイター」球界からも愛された名実況”. サンスポ (産経新聞社). (2021年9月9日) 2021年9月11日閲覧。
外部リンク[編集]
- オフィスR&M・深澤弘 - ウェイバックマシン(2021年9月8日アーカイブ分)