浦紘史
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選手情報 | |
---|---|
本名 | 浦紘史 |
英字表記 | Hiroshi Ura |
生年月日 | 1992年10月10日(32歳) |
出身地 | 日本、山口県 |
身長 | 166 cm |
体重 | 67 kg |
ポジション | ミッドフィールダー |
クラブチーム | |
2015 | レノファ山口FC |
浦紘史(うら ひろし、1992年10月10日 - )は日本のサッカー選手。
来歴[編集]
ジュニアユースチームのレオーネ山口(現・レノファ山口FCアカデミー)U-15の防府市のチーム出身[1]。当時レオーネにU-18クラスがなかったことからアビスパ福岡U-18に加入。2010年にはボランチとして福岡のJFAプリンスリーグ九州初優勝とU-18プレミアリーグへの昇格に貢献[2][3]。
その後佐賀大学(九州大学1部)に進学。天皇杯は2012年・2013年に出場しているが、2014年はベンチメンバーから外れた。
2015年にレノファ山口FCに入団[4]。1年早く山口に入団した菊本侑希はレオーネ山口U-15→福岡U-18の1学年後輩にあたり(菊本は大学2年で休学→中退、浦は卒業後の入団)、福岡時代は寮の同部屋だったという[5]。しかし、山口ではベンチ入りの機会も与えられず1年で退団となった[6][7]。
2016年に関西リーグ2部のFCティアモ枚方に移籍[8]。同チームを関西リーグ1部に昇格させる立役者の一人となったが、2018年シーズン終了後に退団。
2019年からは関西リーグ2部の京都紫光サッカークラブに移籍[9] することが発表された。
クラブチームの統計[編集]
年度 | リーグ | 番 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|---|
山口 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2015 | J3 | 19 | 0 | 0 | - | |
通算 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
総通算 | 0 | 0 | 0 | 0 |
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | 山口 | 19 | J3 | 0 | 0 | - | |||||
通算 | 日本 | J3 | 0 | 0 | - | ||||||
総通算 | 0 | 0 | 0 | 0 |
所属クラブ[編集]
- レオーネ山口U-12
- レオーネ山口U-15
- アビスパ福岡U-18
- 佐賀大学
- 2015年 日本 レノファ山口FC
- 2016年 - 2018年 日本 FCティアモ枚方
- 2019年 - 2023年 日本 京都紫光サッカークラブ
タイトル[編集]
脚注[編集]
- ↑ Jリーグサッカーキング 2015, p. 49.
- ↑ “[プリンスリーグ]“優勝決定戦”で耐えた福岡U-18が初の九州制覇!!(大分U-18vs福岡U-18)”. ゲキサカ (講談社). (2010年7月11日) 2015年9月18日閲覧。
- ↑ “[全日本ユース(U-18)選手権]チーム紹介:福岡U-18”. ゲキサカ (講談社). (2010年9月3日) 2015年9月18日閲覧。
- ↑ レノファ山口 (2015年1月13日). “浦紘史選手、原口拓人選手、古澤慶太選手 加入のお知らせ”. 2015年9月18日確認。
- ↑ Jリーグサッカーキング 2015, p. 50.
- ↑ “J3優勝&J2昇格の山口、GK森田ら10選手が退団”. スポーツニッポン. (2015年11月26日) 2015年11月26日閲覧。
- ↑ “退団選手のお知らせ” (プレスリリース), レノファ山口FC, (2015年11月26日) 2015年11月26日閲覧。
- ↑ “トップチーム”. FCティアモ枚方. 2016年4月9日確認。
- ↑ “トップチーム 浦紘史選手加入のお知らせ”. 京都紫光クラブ. 2019年1月19日確認。
- ↑ “第50回(2015年)~52回(2017年)”. 関西サッカーリーグ. 2018年12月19日確認。
参考資料[編集]
- フロムワン(編)『Jリーグサッカーキング』第9巻第17号、朝日新聞出版、2015年9月24日、2015年9月25日確認。