津久井城の戦い
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津久井城の戦い(つくいじょうのたたかい)とは、大永5年(1525年)に相模津久井城をめぐって武田信虎軍と北条氏綱軍が戦った合戦である。この戦いは信虎が津久井城を落とせず撤退したため、氏綱軍の勝利で終わった。
経歴[編集]
関東の覇権をめぐり北条氏綱は扇谷上杉氏、山内上杉氏と抗争を繰り返していた。そんな中、大永5年(1525年)3月25日に関東管領であった山内上杉憲房が死去した。このため上杉氏の後退は明らかになり、信虎は氏綱に和睦を申し入れ、氏綱も応じて信虎に銭1000貫文を贈った(『勝山記』)。
しかしこの和睦は一時的な停戦条約に過ぎず、すぐに破棄されて信虎は相模の津久井城を攻めたが落とせずに撤退した(『勝山記』)。一方で氏綱も武蔵西部に勢力を張る家臣・小宮朝宗を甲斐郡内東部に侵攻させるなどしている(『 井伊文書』)。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03423-6