河村秀影

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河村 秀影(かわむら ひでかげ、? - 永禄5年(1562年))は、戦国時代武将織田氏家臣

生涯[編集]

通称は八郎、九郎大夫。後に伊之助。津島社禰宜といわれ、代々「津島九郎大夫」と呼ばれた。伊之助と称したのは神職を譲与した後と見られている。

河村秀清の子で、津島社禰宜の慶満の養子になった。織田信秀の時代から織田家に仕えており、天文7年(1538年)6月9日に信秀から神職の相続を許されている。信秀の死後は織田信長に仕え、天文22年(1553年)5月20日に信長より借銭の返済を命じられている。

永禄5年(1562年)に死去し、跡を長男の秀綱が継いだ。