沢本嘉春

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沢本 嘉春(さわもと よしはる、明治24年(1891年1月20日 - 昭和6年(1931年))は、高知県出身の実業家[1]。沢本は澤本とも書かれる。

生涯[編集]

高知県長岡郡介良村良野(現在の高知市)に生まれる[1]。父は実業家として北見市の発展に貢献した沢本楠矢3男[1]

海南中学(小津高校)から東京高商(東京商大のちに一橋大学)を出て、兵庫県神戸市鈴木商店に入る[1]。当時、鈴木商店には同郷出身の窪田駒吉が鈴木商店の大番頭である金子直吉の下で東京支店長を務めていたので、窪田から見出されて入社したという(一説に嘉春が窪田を頼ったという)[1]

当時の鈴木商店はまだ発展を遂げる前だったので、東京高商を出た後は三井三菱に入るのがエリートコースとして見られている中で鈴木商店を選んだのは、嘉春が鈴木商店の将来性を見抜いていたのではないかとする説もある。嘉春が入社した頃から鈴木商店は大躍進を開始し、たちまちのうちに三井物産を追い越して日本最大の総合商社に成長していった[1]。嘉春は世界商社にまでなった鈴木商店の重要拠点である大連支店長まで務める[1]。しかし鈴木商店はやがて破綻し、嘉春は東京に戻って兄の沢本孟虎が経営する出版社・青山書院に入社する[1]。ここでも持ち前の才能を持って兄を助けながら大いに発展に寄与したという[1]

昭和6年(1931年)に急死した[1]。40歳没[1]

兄の孟虎は自伝・「小さな足跡」で弟・嘉春の将来を期待していただけに、その早世を大いに惜しんだという[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h i j k l 『高知経済人列伝』。鍋島高明編著。2016年7月。高知新聞社。P144

参考文献[編集]