氏家左近

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氏家 左近
うじいえ さこん
名の由来  
性別 男性
時代 江戸時代前期
生年月日 不詳
没年月日 元和元年(1615年
死没地 京都妙覚寺
死因 切腹
国籍 日本国旗.png日本
職業 豊臣家・家臣
武器  
口癖  
名ゼリフ  
氏家行広
家族構成 左近内記八丸
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氏家 左近(うじいえ さこん)は、江戸時代初期の武士豊臣氏家臣

生涯[編集]

父は氏家行広で次男。『武徳編年集成』によると、父の行広が大坂夏の陣において大坂城自害した後、弟たちと共に大坂城を脱出して徳川の追跡から逃れたが、やがて捕縛された。そして、父の行広が豊臣方に与したことを理由に弟の内記、八丸と共に京都・妙覚寺において切腹させられた。この際、名前不詳の末子のみは南光坊天海の弟子となって死を免れ、後に愛宕山康楽院の住職になったという。

Wikipediaの氏家行広においては左近は長男とされ、出家したのは三男とされているがこれは誤りである。『武徳編年集成』に長男の記載が見られないことから、恐らく早世したものと推定される[1]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. 渡邊「牢人たちの戦国時代」P203

参考文献[編集]