氏家八丸
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氏家 八丸 うじいえ はちまる | |||||||||||||||||||||||||||
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氏家 八丸(うじいえ はちまる)は、江戸時代初期の武士。豊臣氏の家臣。
生涯[編集]
父は氏家行広で4男。『武徳編年集成』によると、父の行広が大坂夏の陣において大坂城で自害した後、兄や弟たちと共に大坂城を脱出して徳川の追跡から逃れたが、やがて捕縛された。そして、父の行広が豊臣方に与したことを理由に兄の左近や内記と共に京都・妙覚寺において切腹させられた。この際、名前不詳の末子のみは南光坊天海の弟子となって死を免れ、後に愛宕山康楽院の住職になったという。
Wikipediaの氏家行広においては出家したのは三男とされているがこれは誤りである。『武徳編年集成』に長男の記載が見られないことから、恐らく早世したものと推定される[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 渡邊「牢人たちの戦国時代」P203