死刑執行人もまた死す

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

死刑執行人もまた死す(しけいしっこうにんもまたしす、原題:Hangmen Also Die! )は、1943年アメリカ合衆国映画。反ナチ映画の傑作。史実のエンスラポイド作戦を元にしている。オリジナル版は120分だが、134分の完全版が1987年に公開された。

概要[編集]

第2次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下のチェコスロバキアプラハで“死刑執行人”と恐れられるナチの副総督ラインハルト・ハイドリヒ暗殺された。マーシャ・ノヴォトニーは暗殺犯に出くわすが、追ってきたゲシュタポに反対方向へ逃げたと証言した。その夜、ゲシュタポに追われる犯人フランツ・スヴォボダはマーシャ一家が住むアパートに身を隠した。マーシャは大学教授の父、母、弟のボタと住んでいた。ゲシュタポは対抗措置としてプラハ市民の逮捕・連行をはじめ、教授を連れ去った。そしてスパイのチャカを収容所の市民たちの間にまぎれ込ませ情報を取ろうとする。マーシャは自分がかばった男のために、大学教授の父親が人質に取られたことを知り、ヴァニヤックこと本名スヴォボダに自首を懇願したが、断られた。

意を決したマーシャはゲシュタポ本部に向かうが、途中でレジタンス市民に妨害を受け非難される。鎮圧に来たゲシュタポに連れられて本部に来たマーシャだったが、ゲシュタポの残忍な取調べを目撃し、人質にされた父との面会で父の「自由は闘って勝ち取るものだ」という言葉を聞いて、通報せず父の無実を訴えた。

ゲシュタポは見せしめに、連行した市民たちを毎日3人ずつ処刑しはじめる。連行者のリスト作成に協力したのはチャカであった。やがてレジスタンスの重要メンバーがレストランに集まる日が来た。そこにゲシュタポが乱入、メンバーを殺害した。ゲシュタポはただちに日頃マークしていたスヴォボダの家に捜査に向かった。負傷したリーダーを匿っていたスヴォボダはマーシャとの情事の最中を装い追求をかわすが、主任、グリューバー(アレクサンダー・グラナッハ)は現場にホレックを連行する。翌日、マーシャとスヴォボダはレストランに行き、彼女はそこでナチの地区司令官暗殺の犯人をチャカと告発し、ナチは彼を連行する。チャカはレストランで食事をしていたと証言する、だがレストランにいた人々は彼はそこにいなかったという。他にもチャカのアリバイを崩す証言が次々と出てくる。

チャカのアリバイはグリューバー警部が握っていた。その頃ホレックの部屋に居座っていたグリューバーはマーシャの偽証に気づく。阻止しようとしたホレックを打ち倒しグリューバーはスヴォボダの勤める病院に向かう。そこでグリューバーはスヴォボダに殺害される。ホレックによりグリューバーがチャカの家に向かったと通報を受けたナチは、チャカの家に捜査に出向く。彼の執事はグリューバーが訪れたと証言する。そして書斎から総督暗殺に使われた拳銃が見つかり、地下室からグリューバーの死体が発見された。二重スパイとして連行されたチャカをナチは街中で釈放し、後ろから射殺する。チャカを暗殺犯に仕立て上げるプラハ市民たちの作戦は成功したが、ノヴォトニー教授を含め多くの連行者は結局処刑されてしまった。そしてベルリンからは、ナチの威信のためにチャカを犯人にして収めるようにという指令がプラハ占領本部に届いた。

作品のテーマ[編集]

  • マーシャの父が息子に向けて語る言葉「もし将来平和になり、好きな本が読め、自分の考えを発表することができ、自由な時代になったとしても忘れるな。自由は買えるものではない。自由は勝ち取るものだ。」は、監督が最も言いたかったことであろう。
  • 総統の暗殺に関わったチェコ共産党の地下組織は、ナチスから見れば暗殺犯、チェコ人から見れば国民的英雄になる。このギャップがテーマになっている。
  • 脚本にはブレヒト加わっているが、ブレヒトは観客を教化する姿勢を貫き、俗受けを狙うラングの演出は気に入らなかった[1]

配役[編集]

スタッフ[編集]

受賞[編集]

  • 1944年の第16回 アカデミー賞で音楽がドラマ音楽賞、録音賞にノミネートされた。この年のドラマ音楽賞受賞作品は『聖処女』となった。録音賞はThis Land Is Mineが受賞した。作品賞、監督賞は『カサブランカ』であった。

参考文献[編集]

  1. 市川明(2012)「ブレヒトとフリッツ・ラングの『死刑執行人もまた死す』」大阪大学大学院文学研究科紀要 Vol.52, pp.91-132