楊松

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楊 松(よう しょう)は、中国小説である『三国志演義』の登場人物である。

劇中の活躍[編集]

『三国志演義』に登場する張魯配下の幕僚で金好きの奸臣として描かれる[1]黄権が益州の割譲を条件に援軍を求めた際には張魯に応じるように薦めた[1]。このため、当時張魯の庇護を受けていた馬超が援軍に赴くが、劉備は馬超を敵にするには惜しい男と考えて諸葛亮に計略を練らせ、諸葛亮は孫乾を使者として楊松の下に送り、楊松に金銀財宝を贈る見返りに張魯に馬超の事を讒言するように願い、楊松は張魯に馬超のあることないことを讒言してその仲を裂き、進退窮まった馬超は無理な条件を押し付けられたので目付として送られていた楊松の弟・楊柏(史実では楊白)を殺害して劉備に投降してしまった[1]

215年曹操漢中郡を攻めた際には張魯の下にいた馬超の旧臣・龐徳が善戦したが、曹操は龐徳の武勇を評価して家臣にしたいと思い、参謀の賈詡に策を練らせた。賈詡は楊松に黄金の胸当てを送り、さらに官位などで買収する見返りに張魯に龐徳のことを讒言するように求めた[1]。その結果、張魯と龐徳の仲は引き裂かれ、龐徳は無理な戦いを曹操に挑まざるを得なくなり、遂には捕らえられて曹操に降る[1]。そのため張魯に対して曹操に降伏するように勧めるが張衛の反対でひとまず巴西に逃亡する[1]。そしてそこで曹操に内応する旨の密書を送り、張魯には城は自分が守るから決戦に出撃するように勧めた[1]。しかし味方の軍は既に士気を失っており大敗した張魯は城に逃げ戻るが、楊松は張魯の命令に従って城門を開こうとせず、ここに至って張魯は楊松が裏切り者と気づくが既に手遅れで、遂に曹操に降伏する[1]。曹操は張魯や家臣らを厚遇したが、楊松のみは主君を自分に売り渡した卑劣な売国奴として処刑した上でその首を晒した[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g h i 小出『三国志武将事典』P165

参考文献[編集]