梁習
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梁 習(りょう しゅう、? - 230年)は、後漢末期から三国時代にかけての魏の武将・政治家。字は子虞(しぐ)[1]。子に梁施。
生涯[編集]
陳郡柘県の出身[1]。はじめは郡の綱紀となるが、曹操が司空になった際に招聘されて各地の県令を歴任して治績を立てた[1]。并州刺史になると有力な豪族を招聘して反乱を未然に防ぎ、成年男子を徴兵して義勇軍として、家族を鄴へ移住させた[1]。招聘に応じない者は武力で鎮圧し、匈奴も梁習を恐れて魏に恭順の意を示した[1]。228年、明帝から中央に招聘されて大司農になるが、決して私服を肥やさなかったため明帝から厚く信任されて厚遇された[1]。230年に死去。
『三国志演義』には登場しない。