柴田道子
ナビゲーションに移動
検索に移動
柴田 道子 しばた みちこ | |||||||||||||||||||||
|
柴田 道子(しばた みちこ、昭和9年(1934年)3月30日 - 昭和50年(1975年)8月14日)は、女性の児童文学者、社会運動家である[1]。
略歴[編集]
東京府出身。昭和32年(1957年)に共立女子大学英文科を卒業し、同年に乙骨淑子らと共に同人誌『こだま』に参加し、戦前の学童疎開の体験を書いた「谷間の底から」を連載し、昭和34年(1959年)に出版し、これが第7回産経児童出版文化賞を受賞する。この小説の読者を通して部落差別の存在を知る[1]。
昭和38年(1963年)に夫の長野県転勤を契機として部落解放運動にも関わるようになり、昭和43年(1968年)から長野県の部落を訪ねて100数十人もの古老から話を聞き、昭和47年(1972年)に『被差別部落の伝承と生活』を刊行する。一方で安保闘争やベトナム戦争反対闘争、昭和50年(1975年)の狭山差別裁判反対闘争など、一貫して社会批判の活動を続ける一方で、男女の対の中に女性解放の可能性を模索し続けたという[1]。
しかし、狭山差別裁判反対闘争の年の8月14日に41歳の若さで死去した[1]。
著書[編集]
- 『谷間の底から』(鈴木義治絵)東都書房、1959.9 のち岩波少年文庫 解説:鶴見俊輔
- 『消えたレーダー塔』東京創元社、1961
- 『ももいろの童話集』東京創元社、1961
- 「少年・少女の英雄像・理想像の特質」(いぬいとみこと共作)『岩波講座・現代教育学(15)』岩波書店、1961
- 『日本丸漂流する』(池田仙三郎絵) 東都書房、1963.9
- 『平塚らいてぅ・この人たちは愛に生きた』三一書房、1969.4
- 「差別を生きて 信州、未開放部落古老ききがき」『ドキュメント日本人7 無告の民』学芸書林、1969
- 『仙人になったカン先生』(挿絵:梶山俊夫)国土社、1971.9
- 『被差別部落の伝承と生活』三一書房、1972
- 『日本のお母さんたち』(編著)ペリカン社、1972.8
- 「子どもにとっての母の存在」『講座おんな4 おんなと母のあいだ』筑摩書房、1973.3
- 『鬼女紅葉』国土社、1974.6(挿絵:丸木俊)
- 『皇国少女が求めた自己教育の場』(体験的教育論)明治図書、1974.11
- 『ひとすじの光』朝日新聞社、1976.12
寄稿[編集]
『思想の科学』、『年輪』、『非暴力ニュース』、『朝日ジャーナル』、『言語生活』、『月刊百科』、『全逓時評』、『考える高校生』、『開放教育』、『婦人公論』、『現代教育科学』、『歴史と旅』、『新日本文学』、『母の友』などの季刊・月刊誌・同人誌へ多数寄稿している。
書評[編集]
- 『ひとすじの光』
- 『谷間の底から』
脚注[編集]
参考文献[編集]