柳沢里旭
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柳沢 里旭(やなぎさわ さとあきら、享保7年5月27日(1722年7月10日) - 元文元年6月3日(1736年7月11日))は、越後黒川藩柳沢家1万石の第3代藩主。
来歴[編集]
父は第2代藩主・柳沢里済の兄・柳沢里光で長男。母は柳沢重守の娘。仮名は弥三郎、後に新五郎。
享保20年(1735年)11月1日、叔父の里済の末期養子となる。11月2日に里済が死去したので、12月29日に14歳で第3代藩主となった。享保21年(1736年)1月15日に第8代征夷大将軍・徳川吉宗に御目見するが、半年後の元文元年(1736年)6月1日に危篤となる。継嗣が無かったため、実弟の柳沢保卓を末期養子に迎え、11月3日に15歳の若さで早世した。法名は普曜院性天知旭。墓所は東京都新宿区市ヶ谷河田町の正覚山月桂寺。