松平清定夫人
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松平清定夫人(まつだいらきよさだふじん、生没年不詳)は、戦国時代の女性。松平清定の正室。
略歴[編集]
父は織田信定。織田信秀は兄か弟で、織田信長の伯母(あるいは叔母)に当たる。『寛政重修諸家譜』『系図簒要』などの織田系図に松平清定の室に織田信定の娘が嫁いだとある[1]。
清定の父・松平信定は松平氏宗家の家督をめぐって松平清康と争っており、清康が守山崩れで暗殺された際に清康の遺児・広忠から岡崎城主の地位を奪った。しかし、広忠は今川義元を頼ったため、信定は以前から気脈を通じていた信秀に助力を求め、その関係強化を図るために清定の妻に信秀の姉妹を迎えたものと推測されている。
しかし、信定は天文7年(1538年)に死去し、清定も天文12年(1543年)に死去。そして、清定の跡を継いだ家次は広忠に恭順して信秀と敵対したため、恐らくこの際に織田家に送り返されたのか。家次は恐らく彼女の所生では無いと考えられ、その後の行方についても不明である[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田正人 『織田信長総合事典』 雄山閣出版、1999年。 。