松崎藩
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松崎藩(まつざきはん)は、江戸時代前期に16年間存在した久留米藩の支藩である。藩庁は筑後国御原郡松崎(現在の福岡県小郡市松崎)の松崎陣屋に置かれた。藩主家は外様大名の有馬氏。石高は1万石。
概要[編集]
久留米藩の第2代藩主・有馬忠頼は当初、子宝に恵まれなかったため、小出吉重の3男の有馬豊祐を養子にした。豊祐の母親は忠頼の妹なので、豊祐は忠頼の甥に当たる。
ところが養子に迎えてから忠頼は子宝に恵まれ、有馬頼利・有馬頼元らが誕生した。そのため忠頼が死去すると、第3代藩主は頼利が継承した。頼利は寛文8年(1668年)に死去し、弟の頼元が第4代藩主に就任するが、この際に養子ながら部屋住みにされていた豊祐にも筑後国御原郡内で19村、1万500石が分与されて松崎に陣屋を構え、松崎藩が立藩された。
豊祐は松崎街道(薩摩街道の一部)を開設し、城下の松崎宿を整備するなど藩政に力を尽くしたが、貞享元年(1684年)に姉婿である陸奥窪田藩主・土方雄隆の後継者問題に巻き込まれ、親族として解決に力を尽くさなかったとして改易された。旧領は幕府直轄領となったのち、元禄10年(1697年)に久留米藩に還付された。
歴代藩主[編集]
外様 1万500石