村井順 (官僚)

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村井 順(むらい じゅん、1909年明治42年)2月5日 - 1988年昭和63年)1月12日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。綜合警備保障(ALSOK)の創業者。

経歴[編集]

東京生まれ。1935年、東京帝国大学法学部政治学科卒業、内務省に入省[1]福岡県警察部防空課長から興亜院に転出し[2]、興亜院華中連絡部事務官、東京都民生局総務係長などを歴任した[3]。敗戦後の1946年、青森県警察部長から内閣事務官兼内閣総理大臣秘書官に抜擢された[1][2]。内務省に復帰後、警保局公安第一課長に就任[3]。1948年、国家地方警察本部初代警備課長に就任[4]。1952年、日本版CIAを目指して設立された内閣総理大臣官房調査室(1957年・内閣調査室、1986年・内閣情報調査室)の初代室長に就任。京都府警察本部長、東北管区警察局長を経て[3]、1958年、九州管区警察局長に就任[1]。1961年に退官[3]

1962年、財団法人オリンピック東京大会組織委員会事務次長に就任。1964年東京オリンピックの準備に携わり、選手村の警備を日本警備保障(現・セコム)に発注した[5]。このオリンピックを契機として民間警備会社の必要性を感じ、政府や官僚からも助言を受け[6]、1965年7月16日に綜合警備保障株式会社を設立した。なお「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」には同社が「日本初の民間警備会社」[4]とあるが、セコムや大日警の方が古いため誤りであると思われる。

1980年、綜合警備保障株式会社代表取締役会長に就任。1982年、勲二等瑞宝章を受章[1]。1988年に死去、享年78歳。没後12目の2000年に綜合警備保障創立35周年を記念して、公益財団法人村井順記念奨学財団が設立された[7]

人物[編集]

吉田茂と関わりが深い。第1次吉田内閣で内閣総理大臣秘書官を務め、第3次吉田内閣下の1952年には吉田に建言して内閣総理大臣官房調査室(現・内閣情報調査室)の創設に関与した。1964年の東京五輪後、吉田の激励を受けて綜合警備保障の創設を決意したという[3]

綜合警備保障が経営理念とする「ありがとうの心」と「武士の精神」は、村井の精神を引き継いでいるとされる[3]

著書[編集]

  • 『国際共産主義運動の沿革と現勢』 日本出版共同、1954年
  • 『ありがとうの心』 善本社、1974/三笠書房(知的生きかた文庫)、1986年
  • 『日本よ何処へゆく』 善本社、1976年
  • 『日本人の良心』 善本社、1981年
  • 『武士の商法』 善本社、1987年
  • 『「ありがとうの心」の経営――武士の精神で日本へ貢献』 善本社(心の経営シリーズ)、2000年

脚注[編集]

外部リンク[編集]

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