李 禊(り けつ、? - 天祐2年2月9日(905年3月17日))は、中国の唐末期の皇族。第22代皇帝・昭宗の3男。第23代(最後)の皇帝・哀宗の兄。他の兄弟に李裕・李祤・李禋・李禕・李祕・李祺・李禛・李祥。
905年2月、当時唐の政権を掌握していた実力者の朱全忠により社日[1]であるとして洛陽苑内の九曲池で宴会を開くので招かれた。その宴会の最中に朱全忠の命令を受けた屈強な兵士が数十人現れて兄弟全員が絞殺され、遺体は九曲池に投げ込まれたという。
朱全忠が皇帝の兄弟を殺害したのは哀帝に力を貸しそうな藩屏を消すと同時に、唐復興の神輿にされるのを恐れたためという。
- ↑ 社日とは土地の神を祀る日で、立春の後の5回目の戊の日を社日とする。この年の社日は戊戌に当たっており、この日は郊外で宴会を開く習慣があった。