李 朝(り ちょう、? - 222年)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての蜀の武将[1]。
益州の出身[1]。劉備に仕え、219年に劉備が漢中王になる際に献帝への上奏文を執筆した[1]。2人の弟がおり、3兄弟そろって周囲から「李氏の三龍」と呼ばれた逸材で、蜀を支える優秀な人材として将来を嘱望されていたが、222年の夷陵の戦いの後に死去したという[1]。篤実な性格の持ち主だったと伝わる[1]。