朱友貞

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朱 友貞(しゅ ゆうてい、888年 - 923年)は、五代十国後梁の第3代皇帝(在位:913年 - 923年[1])。歴史上は後梁最後の皇帝のため、末帝(まってい)[1]と称される。

生涯[編集]

初代皇帝・太祖の息子[1]。即位前は均王の地位にあった[1]

912年に太祖が兄の朱友珪暗殺されると、朱友貞は袁象先と組んでクーデターを起こし、913年2月に朱友珪を殺害して即位した[1]。しかしこれら一連の政変で後梁の勢力は大きく衰退しており、また父以来の宿敵である後唐(晋)の李存勗に攻められ、923年に遂に自殺し、後梁は3代で滅亡した[1][2]。享年36。

宗室[編集]

后妃[編集]

脚注[編集]

  1. a b c d e f 河出書房新社『中国歴代皇帝人物事典』、P169
  2. 河出書房新社『中国歴代皇帝人物事典』、P170

参考文献[編集]