曹 詢(そう じゅん、231年 - 244年[1])は、中国の三国時代の魏の皇族[2][1]。
『魏氏春秋』によると任城王・曹楷の子と伝わる。これが事実なら曽祖父は曹操、祖父は曹彰で、弟に魏の第3代皇帝となった曹芳がいることになる。
第2代皇帝の明帝に男子が無かったため、従兄弟の息子に当たる曹詢・曹芳兄弟が明帝の養子に迎えられて極秘に宮中で育てられたという[2]。235年に曹芳が斉王に封じられた際、曹詢も秦王に封じられた[2]。しかし239年に明帝が崩御した際、皇帝には何故か弟の曹芳が立てられている。
曹詢は244年に死去した[1]。享年14。