明倫館
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明倫館(めいりんかん)は、長門国萩(現・山口県萩市)にあった長州藩の藩校。水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷黌と並び、日本三大学府の一つと称される。
概略[編集]
ここでは萩の明倫館について記す。
1719年(享保4年)に5代藩主、毛利吉元が毛利家家臣の子弟教育を目的に、城三の丸(堀内)に開学した。
吉田松陰、楫取素彦(小田村伊之助)らも、ここの教壇に立ったといわれている。
1867年(慶応3年)の廃館まで、前後約150年の長期にわたり、藩校としての教育が行われ、幕末の長州藩の中で大きな役割を果たしたと、伝えられる[1]。
その他[編集]
山口政事堂の開設で、周防国山口にも1863年に山口明倫館が開設されたが、別ページとする。