日本大学フェニックス

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日本大学フェニックス(にほんだいがくフェニックス)は、日本大学保健体育審議会に所属するアメリカンフットボールチームである。

概要[編集]

昭和15年(1940年)に日本で6番目に創部されたアメリカンフットボール部である。篠竹幹夫監督が4年時の昭和30年(1955年)に関東で初優勝し、甲子園ボウル初出場で関西学院大学と引き分けている。両校優勝ということで初の大学日本一となり、篠竹はこの翌年にコーチに就任し、昭和34年(1959年)に監督に就任して3連覇を果たした。昭和57年(1982年)には最多タイの5連覇を達成し、「サムライフットボール」を掲げて本場米国打破を目指し、アンバランスT、ショットガン隊形などを駆使し、鉄拳も辞さないスパルタ練習で強化を図ったという。1990年代から法大に関東8連覇を許すなどチームの勢いは衰退し、スパルタ的なやり方にも反感が高まって部員は減少し、平成13年(2001年)と平成15年(2003年)には入れ替え戦にも出場している。しかし平成15年には篠竹が勇退して内田正人が監督に昇格してしまう。

平成19年(2007年)に17年ぶりで甲子園ボウルに出場し、平成29年(2017年)には27年ぶりに関西学院大学の最多28度に次ぐ21度目の優勝を飾る。社会人と日本一を争うライスボウルには5度出場し、平成30年(2018年)の時点で4度制している。公式戦は通算で412勝105敗11引き分けで勝率は7割8分である。

愛称は1950年代に最強を自負した全日大の不死鳥倶楽部が由来で命名したとされ、チームカラーは赤である。

平成30年(2018年5月日大アメフト問題を引き起こして、アメフト界ばかりではなく日大そのものの存在にまで影響が及ぶ大騒動となっている(詳しくは日大アメフト問題を参照)。

一時期は日テレG+のNFL中継にCMを流していたが日大アメフト問題の影響からか現在は流されていない。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]