日本テレビのアナウンサー一覧
ナビゲーションに移動
検索に移動
日本テレビのアナウンサー一覧(にほんテレビのアナウンサーいちらん)は、日本テレビ放送網の社員で、アナウンサーを務めた者を一覧にしたものである。
男性アナウンサー[編集]
- 越智正典(1953年入社、1975年退職) - NHK[注釈 1]より移籍。スポーツライター。
- 佐土一正(1953年入社、?年退職)
- 江本三千年(1953年入社、?年退職) - 新日本放送(現:毎日放送)より移籍。
- 茂木太郎(1953年入社、?年退職) - NHK[注釈 2]より移籍。
- 平井文夫(1953年入社、?年退職)
- 持田勝彦(1953年入社、?年退職) - NHK[注釈 3]より移籍。
- 大平和夫(1953年入社、?年退職)
- 金原二郎(1954年入社、1992年定年退職) - 1997年没[3][4]。
- 赤木孝男(1956年入社、1978年退職)
- 志生野温夫(1956年入社、1972年退職) - フリー。アナウンサープロダクション『シオノ事務所』代表取締役。
- 本多当一郎(1956年入社、1994年退職) - 2018年没[5]。
- 清水一郎(1957年入社、?年退職) - 1997年没。
- 原和男 (1957年入社、?年退職) - NHK[注釈 4]→文化放送より移籍。2017年現在、東京相撲記者クラブ会友[7]。
- 住井平一郎(1957年入社、1994年退職)
- 長田晨一郎(1957年入社、1994年退職) - 後に報道局へ異動。
- 久能靖(1960年入社、1990年退職[注釈 5]) - 退社後、皇室分野を中心としたジャーナリストに転向。番組出演は2004年まで日本テレビに限定していた。
- 久保晴生(1960年入社、1995年退職[注釈 6]) - 日テレ学院スーパーバイザー兼アナウンススクール講師。長女は元NHKアナウンサーの久保純子。
- 宮尾俊輔(1960年入社、1997年退職)
- 浅見源司郎(1962年入社、1993年退職) - 同年ラジオ日本へ出向し、その後退職。
- 小川光明(1962年入社、2004年退職[注釈 7]) - 2006年4月よりBS日テレ『ボウリング革命 P★League』実況
- 徳光和夫(1963年入社、1989年退職) - フリー。
- 小林完吾(1963年入社、1992年定年退職) - ラジオ南日本(現:南日本放送)より移籍[注釈 8]。フリー[8]。
- 倉持隆夫(1964年入社、2001年定年退職) - 引退。
- 舛方勝宏(1965年入社、2018年退職[注釈 9])
- 田村欣也(1965年入社、2002年年退職[注釈 10]) - 元福島中央テレビ常務取締役、健康管理士[9][注釈 11]
- 福留功男(1966年入社[注釈 12]、1991年退職) - 1970年に報道局より異動。フリー。
- 高雄孝昭(1967年入社、2003年退職[注釈 13]) - 熊本県民テレビ取締役を歴任。
- 竹内公一(1967年入社、2004年退職) - 日本テレビビデオ(現:日テレアックスオン)取締役社長を歴任。2006年に取締役相談役に就任。
- 芦沢俊美(1968年入社、2006年定年退職[注釈 14]) - 2013年没。妻は江川範子[11]。
- 小早川正昭(1968年入社、1972年退職) - フリー。
- 吉田填一郎(1969年入社、2011年退職[注釈 15]) - ラジオ日本退職後フリー。
- 松永二三男(1974年入社、2011年定年退職[注釈 16]) - コンテンツ事業局を経てフリー。
- 小山田春樹(1977年入社、1986年退職) - フリー。2019年4月より京都市会議員。
- 今井伊佐男(1977年入社、2014年退職[注釈 17]) - ラジオ日本「小鳩の愛〜eye〜」パーソナリティ。
- 白岩裕之(1979年入社、2014年退職[注釈 18]) - テレビ信州常務取締役。
- 小倉淳(1981年入社、2006年退職) - 広報局へ異動後にフリー。日テレ学院アナウンススクール講師、江戸川大学教授。
- 山下末則(1981年入社、2008年定年退職) - 宮崎放送[注釈 19]より移籍。フリー。スピーチコンサルティング会社『パーフェクト・スピーチ』代表取締役社長。
- 増田隆生(1982年入社、2019年定年退職) - 報道局へ異動し、その後出版部、スポーツ局に勤務。
- 若林健治(1984年入社、2007年退職) - 中部日本放送[注釈 20]より移籍。事業局を経てフリー。『若林健治アナウンススクール』主宰。
- 多昌博志(1985年入社)
- 日高直人(1985年入社、1991年退職)
- 船越雅史(1986年入社、2022年定年退職)
- 保坂昌宏(1987年入社)
- 福澤朗(1988年入社、2005年退職) - フリー。
- 村山喜彦(1988年入社)
- 後藤俊哉(1990年入社)
- 鈴木健(1990年[注釈 21]入社)
- 河村亮(1991年入社、2022年在職中に死去)
- 金子茂(1991年入社)
- 野口敦史(1992年入社)
- 平川健太郎(1992年入社)
- 藤井恒久(1993年入社)
- 羽鳥慎一(1994年入社、2011年退職) - フリー。
- 藤井貴彦(1994年入社)
- 矢島学(1995年入社)
- 寺島淳司(1996年入社)
- 舟津宜史(1996年入社)
- 蛯原哲(1997年入社)
- 菅谷大介(1997年入社)
- 長谷川憲司(1997年入社、2006年退職) - 一般企業勤務。
- 町田浩徳(1998年入社)
- ラルフ鈴木(1998年[注釈 22]入社)
- 新谷保志(1999年入社)
- 高橋雄一(1999年入社)
- 田辺研一郎(2000年入社)
- 森圭介(2001年入社)
- 炭谷宗佑(2002年入社)
- 田中毅(2002年入社)
- 上重聡(2003年入社)
- 右松健太(2003年入社)
- 望月浩平(2003年入社)
- 鳥羽博剛(2004年入社)
- 中野謙吾(2004年入社)
- 藤田大介(2005年入社)
- 青木源太(2006年入社、2020年退職) - フリー。
- 桝太一(2006年入社、2022年退職)
- 加藤聡(2008年入社、2023年退職)
- 佐藤義朗(2008年入社、2022年退職)
- 辻岡義堂(2009年入社)
- 山本紘之(2011年入社)
- 安藤翔(2012年入社)
- 安村直樹(2012年入社)
- 川畑一志(2013年入社)
- 山崎誠(2014年入社)
- 山本健太(2014年入社)
- 平松修造(2015年入社)
- 梅澤廉(2016年入社)
- 伊藤大海(2017年入社)
- 伊藤遼(2017年入社)
- 篠原光(2018年入社、2023年退職)
- 弘竜太郎(2018年入社)
- 大町怜央(2019年入社)
- 北脇大基(2020年入社)
- 田辺大智(2020年入社)
- 澁谷善ヘイゼル(2021年入社)
- 住岡佑樹(2023年入社)
女性アナウンサー[編集]
- 阿井喬子(1953年入社、?年退職)
- 結城雅子(1953年入社、?年退職)
- 森美智代(現姓:横田、1954年入社、?年退職)
- 石井百合子(現姓:細田、1956年入社、?年退職)
- 児玉素子(1956年入社[13]、?年退職)
- 児玉裕子(現姓:加藤、1956年入社、?年退職)
- 白石元枝(1956年入社、?年退職)
- 大岡雅子(1957年入社、?年退職)
- 土田美保子(現姓:小坂、1958年入社、?年退職) - 夫は元日本テレビプロデューサーの小坂敬。
- 森瑛子(現姓:斎藤、1958年入社、?年退職)
- 青木道子(1959年 - ?年退職)
- 岡雅子(現姓:田矢、1959年入社、?年退職)
- 古賀節子(村上姓を経て田原姓、1959年入社、?年退職) - エッセイスト。2004年没。夫はジャーナリストの田原総一朗[14]。
- 三箇恭子(1959年入社、?年退職)
- 松澤洋子(1959年入社、?年退職)
- 安納永子(1961年入社、?年退職)
- 加藤淑子(現姓:久保、1961年入社、?年退職) - 夫は久保晴生、長女は元NHKアナウンサーの久保純子。
- 峯冨佐子(1961年入社、1998年退職)
- 抜山まり子(1962年入社、1999年退職)
- 吉田みどり(1962年入社、1999年退職)
- 今泉倫子(1963年入社、2000年退職)
- 南村幸(現姓:青尾、1963年入社、2000年退職[注釈 23]) - 定年退職を以て引退。
- 末廣恭子(現姓:守田、1964年入社、2001年退職)
- 吉武多恵子(1964年入社、2001年退職)
- 久保旺子(現姓:白石、1967年入社、?年退職) - 日テレ学院アナウンススクール講師。
- 井室喜久子(現姓:神山、1967年入社、2013年退職[注釈 24])
- 山本園子(1967年入社、?年退職) - 元日テレ学院アナウンススクール講師。
- 阿部江美子(現姓:中西、1968年入社、2003年退職)
- 白石浩子(1968年入社、2005年退職)
- 石川牧子(1970年入社、2009年退職[注釈 25]) - 日テレイベンツ非常勤顧問。
- 江川範子(現姓:芦沢、1970年入社、?年退職) - フリー[15]。夫は芦沢俊美[11]。
- 楠田枝里子(1974年入社、1981年退職) - フリー。
- 小池裕美子(1974年入社、2010年退職[注釈 26]) - 定年退職後、大正大学教授に就任。
- 清水奈津子(1976年入社、?年退職) - フリー。日テレ学院アナウンススクール講師。
- 荻原弘子(1977年入社、2009年編成局制作推進センター在職中に死去[注釈 27])
- 井田由美(1980年入社)
- 菅家ゆかり(1981年入社、1987年退職) - 退社後フリー。日テレ学院アナウンススクール講師、表情トレーナー。
- 大島典子(1982年入社、2019年退職) - 報道局、経理局、営業局、コンプライアンス推進室を経て、退社。
- 木村優子(1983年入社、2021年退職)
- 深堀恵美子(1983年入社、1995年退職) - 国際局、広報局を経て退社。
- 加藤明美(1984年入社、2021年退職)
- 鷹西美佳(1985年入社)
- 斉木かおり(1986年入社、1994年退職) - 退社後フリー。日テレ学院アナウンススクール講師。
- 大杉君枝(旧姓:鈴木、1987年入社、2007年在職中に死去)[17]。
- 関谷亜矢子(1988年入社、2000年退職) - フリー。
- 永井美奈子(1988年入社、1996年退職) - フリー。
- 米森麻美(1989年入社、1995年退職) - 2001年没[18]。
- 豊田順子(1990年入社)
- 笛吹雅子(1991年入社)
- 薮本雅子(1991年入社、2001年退職) - 報道局を経てフリー。
- 大神いずみ(1992年入社、1999年退職) - フリー。
- 松本志のぶ(1992年入社、2009年退職) - フリー。
- 山王丸和恵(1993年入社)
- 角田久美子(1993年入社)
- 魚住りえ(1995年入社、2004年退職) - フリー。
- 町亞聖(1995年入社、2011年退職) - 報道局を経てフリー。
- 古市幸子(1996年入社)
- 森富美(1996年入社)
- 河本香織(1997年入社)
- 馬場典子(1997年入社、2014年退職) - フリー。
- 柴田倫世(1998年入社、2004年退職) - プロ野球投手松坂大輔と結婚後はフリー。
- 延友陽子(1998年入社)
- 河合彩(1999年入社、2002年退職) - フィギュアスケートアイスダンス選手。スポーツ部を経てフリーアナウンサー、日テレ学院アナウンススクール講師、フィギュアスケート競技解説者、広告宣伝・ブランディング会社『ディオ』代表。
- 山本真純(1999年入社、2010年在職中に死去)[19]。
- 小野寺麻衣(2000年入社、2006年退職) - 読売ジャイアンツの高橋由伸と結婚後、活動を休止。現在は東京都在住。
- 斉藤まりあ(2000年入社、2008年退職)
- 山下美穂子(2000年入社、2016年退職) - スポーツ局へ異動後フリー。
- 阿部哲子 (2001年入社、2007年退職) - フリー。
- 杉上佐智枝(2001年入社)
- 西尾由佳理(2001年入社、2011年退職) - フリー。
- 佐藤良子(2002年入社)
- 宮崎宣子(2002年入社、2012年退職) - フリー。
- 山本舞衣子(2002年入社、2011年退職) - フリー。
- 鈴江奈々(2003年入社)
- 森麻季(2003年入社、2011年退職) - フリー。
- 脊山麻理子(2004年入社、2009年退職) - フリー。
- 古閑陽子(2005年入社、2010年退職)
- 葉山エレーヌ(2006年入社[注釈 28])
- 松尾英里子(2006年入社、2012年退職) - フリー。
- 夏目三久(2007年入社、2011年退職) - フリー。
- 小熊美香(2008年入社、2017年退職) - フリー。
- 上田まりえ(2009年入社、2016年退職) - フリー。元日テレ学院アナウンススクール講師。
- 水卜麻美(2010年入社)
- 徳島えりか(2011年入社)
- 久野静香(2012年入社、2022年退職)
- 杉野真実(2012年入社)
- 郡司恭子(2013年入社)
- 後藤晴菜(2013年入社)
- 中島芽生(2013年入社)
- 岩本乃蒼(2014年入社)
- 畑下由佳(2014年入社)
- 尾崎里紗(2015年入社)
- 笹崎里菜(2015年入社、2023年退職)
- 佐藤真知子(2016年入社)
- 滝菜月(2016年入社)
- 後呂有紗(2017年入社)
- 佐藤梨那(2017年入社)
- アオイエリカ(2018年入社)
- 市來玲奈(2018年入社)
- 岩田絵里奈(2018年入社)
- 河出奈都美(2019年入社)
- 杉原凜(2019年入社)
- 石川みなみ(2020年入社)
- 忽滑谷こころ(2020年入社)
- 小髙茉緒(2021年入社)
- 黒田みゆ(2021年入社)
- 浦野モモ(2022年入社)
- 林田美学(2022年入社)
- 山本里咲(2023年入社)
- 渡邉結衣(2023年入社)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 1951年入局[1]。
- ↑ 1940年二次入局[2]。
- ↑ 1950年入局[1]。
- ↑ 1947年後期入局[6]。
- ↑ 後に報道局へ異動し、記者を経てキャスター兼コメンテーター。
- ↑ 国際局長を経て日本テレビアナウンスカレッジ(現・日テレ学院アナウンススクール)の創設に参画。
- ↑ 2000年に定年退職し、その後契約社員として勤務。
- ↑ 1960年入社[8]。
- ↑ 1997年にアナウンス部を離れ、CS日本代表取締役社長、日本テレビ取締役副社長など重役を歴任。
- ↑ 報道局へ異動後、政治部長などを歴任。
- ↑ 福島テレビはフジテレビ系列局なので誤り[10]。
- ↑ 報道局記者として入社。
- ↑ 後に報道局へ異動
- ↑ 1996年に事業局へ異動。定年前にアナウンス部教育担当部長を務める。
- ↑ 2003年にラジオ日本へ出向。エグゼクティブアナウンサー、取締役編成局長、同営業局長を歴任。
- ↑ 2003年にコンテンツ事業局へ異動。
- ↑ 2000年にコンテンツ事業局へ異動。現在、公益財団法人日本テレビ小鳩文化事業団の業務に従事。
- ↑ 1990年代前半にアナウンサーを退き、人事局勤務を経て関連会社役員を歴任。
- ↑ 1970年入社
- ↑ 1981年入社
- ↑ 2015年6月から2017年5月まではスカパー!のアナウンサー・運営スタッフとして出向していた。[12]
- ↑ 2016年以前は報道系番組等で本名の「鈴木崇司」で出演していたが、2017年から名義を統一した。
- ↑ 1992年に事業局へ異動し、定年まで勤務。
- ↑ 1986年に報道局へ異動し、その後事業局、広報局に勤務。定年を迎えた後も約9年間嘱託でドラマやバラエティの広報を担当。
- ↑ 2001年より関連会社役員を務める。
- ↑ 1994年に編成局・ネットワーク局・営業局など異動し、定年まで勤務。
- ↑ 1993年に報道局へ異動[16]
- ↑ 一時期姓が石田の時期あり。
出典[編集]
- ↑ a b NHKアナウンサー史編集委員会 「NHKアナウンサー一覧」『アナウンサーたちの70年』 講談社、1992年12月21日、16頁。ISBN 4-06-203232-5。
- ↑ NHKアナウンサー史編集委員会 「NHKアナウンサー一覧」『アナウンサーたちの70年』 講談社、1992年12月21日、13頁。ISBN 4-06-203232-5。
- ↑ 「きょうこのごろ」、『武蔵野日本文学』第2号、武蔵野大学国文学会、1993年3月、 94頁。
- ↑ 『⾦原 ⼆郎』 - コトバンク
- ↑ 「事務局から」 (pdf) 、『日本記者クラブ会報』第577号、日本記者クラブ、2018年3月10日、 25頁、2019年4月17日確認。
- ↑ NHKアナウンサー史編集委員会 「NHKアナウンサー一覧」『アナウンサーたちの70年』 講談社、1992年12月21日、15頁。ISBN 4-06-203232-5。
- ↑ 相撲を伝えて70年、名横綱との交流と思い出を語る - みんなで語ろう民放史 No.125(PDF)
- ↑ a b 『テレビ・タレント人名事典』 日外アソシエーツ、日外アソシエーツ、2004年6月25日、第6版、463-464頁。ISBN 4-8169-1852-3。
- ↑ “郡山異業種交流会(MBA21) 平成15年4月例会”. メディアハウス. 2018年9月21日確認。
- ↑ “群馬県立沼田高等学校 同窓会行事 平成29年度”. 群馬県立沼田高等学校. 2018年9月19日確認。
- ↑ a b 中村こずえ (2014年1月3日). “箱根駅伝 & 新幹線”. 中村こずえのひとりごと. はまぞう. 2019年4月17日確認。
- ↑ 小林健志2015年9月12日のツイート
- ↑ 「リレーエッセイ64(PDF)」 、『社団法人日本映像ソフト協会会報』NO.121、日本映像ソフト協会、2007年4月10日、 13頁、2017年9月9日確認。
- ↑ “田原総一朗さんの妻の田原節子さん死去”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2004年8月13日). オリジナルの2004年8月13日時点によるアーカイブ。 2019年4月17日閲覧。
- ↑ 「DJ訪問 江川範子」、『週刊朝日』、朝日新聞出版、1978年5月12日、 50頁。
- ↑ “元・日テレアナウンサー荻原弘子さんが死去”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2009年4月23日) 2019年4月17日閲覧。
- ↑ “日本テレビの大杉君枝アナ自殺”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2007年2月3日). オリジナルの2016年5月31日時点によるアーカイブ。 2019年4月17日閲覧。
- ↑ “元日本テレビアナ 米森麻美さん急死”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2001年9月19日). オリジナルの2001年12月18日時点によるアーカイブ。 2019年4月17日閲覧。
- ↑ “日テレ山本真純アナ自殺か飛び降り遺書も”. 日刊スポーツ新聞社 (日刊スポーツ新聞社). (2010年7月28日) 2019年4月17日閲覧。
参考文献[編集]
- NHKアナウンサー史編集委員会 『アナウンサーたちの70年』 講談社、1992年12月21日。ISBN 4-06-203232-5。
- 『テレビ夢50年 日本テレビ50年史』、日本テレビ50年史編集室、日本テレビ放送網、2004年3月。(データ編 p90、アナウンサー名鑑の項を出典)