新田義興
ナビゲーションに移動
検索に移動
新田 義興(にった よしおき、元徳3年/元弘元年(1331年) - 正平13年/延文3年10月10日(1358年11月11日))とは、南北朝時代の武将。新田義貞の次男。官途は左近将監・左兵衛佐[1]。兄に義顕。弟に義宗。
生涯[編集]
室町幕府で観応の擾乱が起こるとその間隙をついて正平7年/観応3年(1352年)に弟・義宗と共に上野で挙兵して鎌倉を攻め、一時は鎌倉を任されていた足利尊氏の子・基氏を追放した[1]。しかし尊氏の反撃を受けて鎌倉を奪回されて越後に逃走する[1]。
正平13年/延文3年(1358年)10月、基氏や畠山国清の挑発に乗って武蔵多摩川の矢口渡に至ったところを謀殺された[1]。享年28。