新宮党館

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

新宮党館(しんぐうとうやかた)とは、出雲を支配した戦国大名である尼子氏の精鋭部隊として知られた新宮党の居館である。現在は館跡が存在する。

概要[編集]

尼子氏を戦国大名として成長させた尼子経久の次男・国久は猛将として知られており、新宮谷と呼ばれる台地に居館を構えて新宮党を形成した。新宮党は3000騎から成る尼子家の精鋭部隊として一門の中で最も勇猛の誉れが高く、尼子家の勢力拡大に大きく寄与したが、その武功をよいことに増長の振る舞いも少なくなかった。そのため、経久の死後に跡を継いだ晴久によって天文23年(1554年11月に晴久は国久をはじめとする新宮党を悉く葬り去る粛清劇に及んだ。この粛清には毛利元就の謀略に乗せられた晴久により行なわれたとする説もあるが、いずれにせよその軍事力に大きく依存していた尼子家は一気に有力な親族と軍団を失ってしまい、晴久の死後に毛利元就によって滅ぼされてしまうことになる。

現在の館跡には城安寺の東に「尼子家新宮党之霊社」と彫った石碑が建てられており、新宮党一族を祀る小祠大夫神社やその墓所という数基の五輪塔がある。

アクセス等[編集]