斗南藩
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斗南藩(となみはん)とは、明治時代初期の短期間に陸奥国に存在した藩である。現在の青森県むつ市(旧三戸郡五戸町)に存在した。
概要[編集]
戊辰戦争で明治政府と敵対した会津若松藩主・松平容保は敗れて明治元年(1868年)9月に降伏した。容保は罪人となって藩主の地位を失ったが、12月になって明治政府は会津松平家の存続を許し、容保の長男・松平容大に陸奥国上北郡・三戸郡・二戸郡において3万石を与えた。これが斗南藩の立藩である。
しかし会津若松藩は23万石あったのに対し、この藩はわずかに3万石。しかも現在の青森県東部という僻地に追いやられており、移住を余儀なくされた藩士やその家族は不毛の地で作物すら育てられず、悲惨な生活を行なったという。
立藩からわずか3年後の明治4年(1871年)に廃藩置県が行なわれて斗南藩は消滅。これにより多くの藩士は離散したという。
歴代藩主[編集]
- 会津松平家
親藩 3万石