松平容保
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松平容保(まつだいら かたもり)とは、会津藩九代藩主、会津松平氏六代当主。
生涯[編集]
1835年、会津藩にて出生。高須松平氏当主の松平義建の六男として生まれる。養父に会津藩八代藩主松平容敬。
1852年に容敬が死ぬと、18歳の若さで家督を継承。房総半島の警備にあたるが、1859年に蝦夷地開拓の理由のもと派遣される。3年後の1862年には京都守護職に就いて新選組を配下に置く。足利三代木像梟首事件でも犯人を取り締まるなどして功を成す。
鳥羽・伏見の戦いで大敗した後、会津に進軍した幕府軍を山本八重や白虎隊による総攻撃で追い払おうとしたが、最終的に若松城を無血開城する。
維新後に赦免されると日光東照宮の宮司に就いた。1893年逝去。