文禄堤(ぶんろくつつみ)とは、現在の大阪府守口市本町2丁目にかつて築かれた堤防である。
安土桃山時代の文禄3年(1594年)、伏見城と大坂城を結ぶために豊臣秀吉は淀川左岸に堤防を築き、その堤の上に道を通した。これを京街道といい、大坂と京都を結ぶ交通の要路となる。
後に淀川が西に移るにつれて、この街道も移ることになるのだが、京阪電鉄守口市駅前には文禄年間に築かれた堤の上にできた街並みが現在まで残されている。